例:「いつも責められてるように感じる」

※このに記載するのは類似のケースを合成した仮想事例です。

主訴

Bさん「職場でも、社会でも、自分が悪者にされてるように感じて、イライラや怒りのようなものがある。生きづらいので、なんとかしたい」

心理カウンセリング

それらの感情体験に共通する感覚として、「すべてお前が悪い」と言われてる感じが見つかりました。

そして、ひとまず、いつもイラッと怒っている裏には、悪者にされることの心配のようなものがあることをBさんは認めました。

それは子供の頃からあるもので、自分の言い分を聴いてもらえなかったという気持ちが思い当たります。

大人になって少し自己洞察が進んからは、それについて誰かに相談しようものなら「親のせいにしてはいけない。過去を振り返るな」と言われてきました。それらの助言もまた、Bさんにとっては「すべてお前が悪い」にシンクロする体験となっていました。

助言は正論ではありますが、その正論がBさんを苦しみの循環に閉じ込めている可能性がありました。

さて、幼少期の原体験が原因なのかどうかはわかりませんが、その感じが「いまここ」にあるのであれば、その「いまここにある過去」を扱ってみるのもよいでしょう。

心理セラピストは「いまここ」を大切にするワークをします。ですが、それはよくある誤解のように過去の話をしないという意味ではありません。過去の話をしながら、いまここでクライアントに起きていることを見ています。

ちなみに、カウンセリングやセラピーを申込んでくる人の多くはご自身を変えたいと思っている人です。親を裁きたいとか、親を恨みたいというクライアントは見たことが殆どありません。「親を恨むことを卒業したい」に近い人はいますが。恨んでてもしょうがないと悟っているから申込んでくるのです。

そのような前提で、心理セラピーのイメージワークをするか選んでいただきます。

心理セラピーの目標

Bさんは日常生活の問題場面について「悪者にされている」ではなく「悪者にされている感じがする」と言っいますから、現実と可能性が区別できています。

それは自分の思い込みかもしれないという認知再構成はすでに出来ていて、それでも苦しんでいるわけです。

人生の中で、実際に悪者にされる場面はあるでしょう。そのようなときはどうすればよいのでしょうか? 反論するか、反論すしないのか。

分かってもらえそうなときは反論する、分かってもらえないときは受け流す。そんなところでしょうか。

キレずにアサーティブに反論するには怒りの解放ワークが必要でしょう。ちなみに、怒りの解放はキレることではありません。(よく間違えられているようです)

受け流すというのは、助言するは簡単ですが、本人にとっては難しいです。それはBさんがダメな人間だからではありません。Bさんの中に置き去りにされしものがあるからです。

「すべてお前が悪い」の循環を解くには、後者からゆるしを見つけるのがよさそうです。

心理セラピー前半

これまで起きてきたことを思い出すと、こんなお話が出てきます。

家族からの「すべてお前が悪い」に反論すると、「ほらすぐに反抗する」と言われてますます「すべてお前が悪い」の証明に使われてゆく。

普段は悪者にされることの怖さに悩まされていたわけですが、この原体験(過去にまつわるイメージ)には悲しみがありました。

聴いてもらえない絶望感、大事なことに気づかない親の頼りない姿、それらは子供にとって深い悲しみだったのです。もしくは後に深い悲しみが育ったのかもしれませんが。

もしかしたら、これらの悲しみがBさんの置き去りにされしものかもしれません。

心理セラピー後半

子供の頃のBさんには受け流せないものだったようです。

つまり、必要なだけ悲しめなかったということ。

悲しむことは諦めることでもありますから。

いまは大人のBさんは子供の頃の自分に共感と理解を示します。これが表れたので、インナーチャイルドのワークで強化します。

子供の頃のBちゃんに「すべてお前が悪い」に代わるメッセージを与えてもらいます。「悪くないよ」とか「頑張ったね」とかです。これらの言葉がご自身から自然に出る状態をつくるのがインナーチャイルドワークでの心理セラピストの仕事です。

子供のBちゃんが救われる一方で、大人のBさんは凄まじく寛容な心を手に入れます。

生活の中で悪者にされたとき、物事の一面のみを見て決めつけてくる相手と自分自身の両方をまとめて眺めて、対処法を考えることができるくらいの寛容さです。

また、Bさんは悪者にされる怖さを受け入れるようになります。ちゃんと恐がる練習とも言えますし、恐さを過去形へと完了する練習でもあります。

これはBちゃんの救済の前に済ませるクライアントもいますし、後から出来るようになるクライアントもいます。本人中心アプローチが手順マニュアル型のセラピーと違うところです。

恐さのワークは広義PTSDに用いられる想像エクスポージャー技法に似ています。ですが、ここでは多くを語るように促す必要ないことが多いです。

日常生活のなかで悪者にされるという危機にさらされたとき、恐さを扱える(適度に感じてやり過ごす)ようになると、それが自分にとってどのような危機であるのか、なにを心配しているのか具体的に捉えやすくなります。

そうすると、対処がしやすくなります。場合によっては逃げるのもありですが、受け流して進める場合もあるでしょう。

「すべてお前が悪い」どう?

「おー、面白い見方ですね」

感情パターンから開放されたBさんの感想は「なんかね、どうでもよくなりました(笑)」

※このような場合、感想アンケートは書いてもらえないことが多いです。ほんとにどうでもいいらしいです。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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