あの人が嫌い!? 「怒り」と「怨み」は真逆です

ある人のことが嫌い。そんなとき、どうすればよいのでしょうか? どのように自分の感情と向き合えばよいのでしょうか?

感情をコントロールして抑えるのがよいのでしょうか? ⇒おすすめしません

相手に思い知らせてやった方がよいのでしょうか? ⇒おすすめしません

それが過剰反応の場合は、心理セラピー等で、その原因(深層心理のパターン、条件反射)を解消するのがよいでしょう。

「怒り」と「怨み」を区別する

一方で、場合によっては、ちゃんと怒る必要があるときもあります。しかし、その前に「怒り」と「怨み」の違いを心得ておくことをおすすめします。

「怒り」は自分や大切なものを守るための身体反応(感情)。

「怨み」は相手を有罪にしようとする心理反応(感情もどき)。

「怨み」が不幸をまねくメカニズム

ある講演家の経験則よると、不幸が続く人には、誰かを恨んでいるという共通点があるそうです。また、昔から「怨念は自分に跳ね返る」とも言われていますね。

相手を有罪にするためには、自分は被害者である必要があります。ですので、幸せになることができません。加害者が罰せられたり、加害者が悔い改めることを求めていると、「あの人のせいで私は不幸です」という被害を手放せません。私はこの心理現象を「怨み」と呼びます。

「怨み」の状態にありますと、逆にちゃんと怒ることができなかったりします。

対処法

ある人のことが嫌いといういうとき、まずは「怒り」なのか「怨み」なのか、正直に自分に向き合ってみることをおすすめします。ただし、正直に向き合うには、相応に心を育てる必要があります。簡単ではない場合もあります。

「怒り」である場合は、断るべきを断って、がっつり自分を守ります。簡単に言うと、「No!」と言うということです。自分を守った安心感のようなものが得られればよいです。暴力に対する緊急的な正当防衛でもなければ、相手を攻撃する必要はないことが多いです。多くの場合、相手が目の前にいる必要すらありません。なぜなら、心理的問題解決という点においては、「怒り」は自分の内なるワークだからです。

どうしても相手を攻撃したい、相手に思い知らせたいというのであれば、それは「恨み」でしょう。相手に後悔させたいのであれば、「怨み」でしょう。

これらの場合は、それを生じている「悲しみ」「恐さ」等を認めて癒すのがよいでしょう。たとえば、ほんとうは何を期待しているのか(していたのか)と向き合うと、「悲しみ」がみつかることもあります。ほんとうは何が困っているのかと向き合うと、「恐さ」がみつかることもあります。それらに気づいて「怨み」を手放すときがきたら、心理カウンセラー等に相談するのもよいかと思います。

(参考)
メール講座『自分の気持ちに気づく能力』


※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

\(^o^)/

- protected -