ネガティブな感情は持たないほうがいい!?

一般の人たちからは、「ネガティブな感情を持たないようにする方が幸せになるでしょ?」と、ときどき言われます。

悩みぬいた人たちは、そうではないことに薄々気づいているのではないでしょうか。

(前略)しかし、「感情を大切にする」ことは、感情に溺れることや、感情の言いなりになること、感情に支配されることではありません。そこが、しばしば混同されてきたような気がします。

杉原保史『プロカウンセラーの共感の技術』p.70

ネガティブな感情については、「持たない」「手放す」「感じないようにする」「完了させる」などのまったく異なるものが同一視されてしまっていることと、ネガティブな感情を持ちたくないという怖れが、その誤解の原因なのかなと思います。

ときに、ネガティブから目をそらすためのポジティブ思考やポジティブ感情は、怖れが化けたものです。

不要なネガティブ思考やネガティブ感情は、ポジティブをぶつけることで消えるものもあります。それは怖れによらないポジティブです。その場合、ネガティブ思考やネガティブ感情は否定はされず、ただ役割を果たし終えるのです。

心理セラピーの仮想事例より

「怒り」の感情を大切にする心理セラピーの場合について例を挙げてみます。分かり易さ優先ですので、仮想事例としてのリアリティは低めですがご勘弁を。

心理セラピーでは「怒り」と「怨み」の区別を習得してもらうことがあります。

Aさんは父親に殴られてきた経験から、父親を怨んでいます。

Bさんも父親に殴られてきた経験をもちますが、父親に対して怒りを持っています。

さて、これらのネガティブな感情は持たないほうがよいのでしょうか?

Aさんは父親を怨んでいるので、「父の悪を証明したい」という深層心理があります。そのために不幸を選びます。

怪我をさせた加害者を責めるのが目的なら、怪我はなかなか治らないほうがいいですよね。もちろん、Aさんはそんなことを意図しているわけではありませんが、それに似たことが起きているわけです。

スピリチュアルさんや昔の人たちは「怨みは跳ね返ってくる」なんて言いますね。

Bさんの深層心理は「私を殴るな」なので、自分に危害を加える人や職場を遠ざけるような人生を送ります。

Aさんは逆に危害を遠ざけずに、不幸になる機会をキャッチしてしまいます。

説明のために簡略化した例ですが、Aさんの「父の悪を証明したい」という深層心理は人生にマイナスに働き、Bさんの「私を殴るな」という深層心理は人生にプラスに働くわけです。

どちらもネガティブ感情です。

で、心理セラピーでは、Bさんのような人がAさんのようになるにはどうすればいいかってことになります。

「怨むのをやめましょう」で済むくらいなら心理セラピーを申し込んできたりはしません。

そこで、怒りを大切にするワークなどを通して、怨みを手放せる準備をします。つまりAさんは「怒り」を知らないから怨んでいるわけです。

Aさんにとって怒りと怨みの違いを受け入れることは大変な苦痛や悲しみを伴うことがあります。一時期流行った「感情を出せ」と言うだけの心理支援だと上手くいかないので、「感情解放セラピーはダメだ」と言い出す専門家もいます。

Aさんは怒りではなく怨みを選ぶのには相応の訳があるのかもしれません。そこを丁寧に解いてゆくわけです。

そこには、何かを守りたかったとか、誰かを見捨てられなかったとか、それぞれの忘れられた事情があります。それをKojunは「おきざりにされしもの(left behind)」と呼んでいます。

それを救済する、クライアント自身が救済することで、怒りを手に入れることができるわけです。

「怒るのはよくない」という常識によって苦しめられることもなく、人や自分を傷つける必要もなくなってゆくわけです。

もちろん健全な、あるいはその人に必要な怒りであっても人を傷つける場合はあります。心理セラピーではそこは避けた範囲でやります。なので、怒りを野放しにするわけでもないです。大切にするのです。

水に溺れている人が水をじっくり楽しめない状態にあるのと同じで、感情に溺れている人は感情をじっくり味わえない状態にあります。

杉原保史『プロカウンセラーの共感の技術』p.71

参考

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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