「生きる意味」はちょっと危ない概念だと思います。
心理療法の世界では、「存在(そんざい)」と「生存(せいぞん)」を区別します。
「死にたい」の2つの要素
希死念慮(きしねんりょ)をもつ人は、2つの苦しみをもっていたりします。1つは「苦しみから逃れたい」(死ぬことで苦しみが終わることを期待)、もう1つは「存在してはいけない」(自分の存在が否定されている)です。後者については、「死にたい」という言葉よりも「消えたい」という言葉がしっくりくることがあります。
深層心理の「存在していはいけない」を解決することで、生き物として当たり前の「生きようとする」ことが許されます。この次元の心の問題解決を「存在レベルの生きる許可」とでも呼びましょうか。
「生存」は生き延びること。そのために、人は深層心理に様々な戦略システムをつくります。たとえば、「愛されることを最優先とする」「愛されなくても平気だとの信念をいだく」「人と交わらない」「○○○らしくなる」などなど。
「生存したくない」というのは、あまりみかけません。「死にたい」というのは、「存在していはいけない」か、「苦しみを逃れるために生存を諦める」(すなわち生き延びたいという苦しみ)か、または両方のいずれか、とみてみると本質を捉えやすくなります。
存在レベルと意味レベル
「私の人生には意味がある」という感覚を、「意味レベルの生きる喜び」と呼んでみましょう。これも人間が生きるためには必要と言われます。
「存在レベルの生きる許可」が満たされた上に、「意味レベルの生きる喜び」がのっている積木構造を想像してください。
「生きる意味が欲しい」という話を聴くと、「存在レベルの生きる許可」が解決できていない人たちが、その欠如を補うために「生きる意味」を求めていることが多いようです。すなわち、その人たちは「消えたい」を持っています。
しかし、存在レベルが解決していない人が意味レベルを求めても苦しいのです。これはかつての私でもあるのですが、それを私は「意味がないと死んじゃう星人」と呼んでいます。
存在レベルの深層心理の問題をもっていない人は「人生に意味なんかいらない」と言ったりします。そして、ちゃっかり人生に意味を見出したりしていたりします。存在レベルを解決していない人は、「人生に意味なんかない」という言葉を聞いてゾッとしたりします。
「人生の意味」を外の世界に探しにいきたくなっていたら、もしかしたら存在レベルの問題なのかもしれません。