心理カウンセリングの選び方 ~ 過少介入と過剰介入

心理カウンセリング/心理セラピーを選ぶ緊張には様々な理由があると思いますが、参考に書いてみます。

カウンセリングのメタモデル

カウンセリングがどのような構造になっているかを知っておくとよいかもしれません。

もちろん、流派やカウンセラーによって異なるのですが、それらの相対的に捉えるには、モデルに「マイクロ技法の階層」というメタモデルが役立ちます。

支援職の方はそちらを見ていただくとして、ここではそれを参考に簡易化したメタモデルを描いてみます。次の三層ピラミッドです。

積極技法/介入作業
(解釈、助言、指示など)
作業同盟/治療関係
(支援関係や目的の合意)
傾聴的態度
(ほんとの気持ちを話せる)

原則としては、下段が出来てないと上段が出来ません。

各段で具体的に何をするかは流派や支援者によって異なります。

心理カウンセラーに下段の「傾聴的態度」があることで、クライアントは安心して話せます。

安心して話せるから、目的などが確認されて、中段の「作業同盟/治療関係」ができる。

作業同盟ができているから、上段の「積極技法/」などの介入が安全に行われる。

・・・となっています。

マイクロ技法(マイクロカウンセリング)と比較するには、「面接構造」=「作業同盟/治療関係」として、その上下をみてください。

たとえば、初期のカール・ロジャーズの非指示療法などは、下段「傾聴的態度」を重視するのでクライアントが嫌な思いをすることは少ないですが、上段「積極技法/介入作業」が殆どありません。ですので、聴いてもらってホッとするだけで、何も解決しない場合もあります。

その物足りなさを「過少介入」と言ったりもします。

逆に精神医療などで嫌な思いをしたという体験談の多くは、「あなたは〇〇病なんだから」「専門家の言うことをききなさい」と言われたというパターナリズムです。それは「傾聴的態度」「作業同盟/治療関係」ができていない状態で「介入作業」が行われたと分析することができます。

その押しつけがましさを「過剰介入」と言ったりもします。いわゆる、土足で踏み込まれて傷ついちゃったというやつです。

医療の診断や治療は「介入作業」に含まれます。相談窓口なら適切な相談先の紹介などが「介入作業」になるでしょう。Kojun心理セラピーのワークも「介入作業」です。

ちなみに、Kojunの解釈では「傾聴」とは、カウンセラーの聴く態度のとこではなく、クライアントが思っていることを話せる状態のことです。

過剰介入と過少介入

心理カウンセリングの申込などに緊張する(不安がある)場合は、ご自身が何を求めているか考えてみるのもよいでしょう。

たとえば「とにかく過剰介入は避けたい」というのであれば、ロジャーズ風を選ぶのも悪くないです。1

5分間診察の医師よりは、スタンダードな心理士のカウンセリングなどの方がよさそうです。病院などでも心理士や看護師がそれを担当していることがあります。2

また、相談中に過剰介入を感じたら、一旦さっと心を閉じてもよいでしょう。こじ開けられようとしたら、今の自分には合ってないのかもしれません。

逆に、「過少介入では解決しない」と思うなら、2通りです。

1つは、時間をかけて「傾聴的態度」をしてもらい、自分の目的など理解してもらい、作業同盟をつくります。そのためにセッション1回なのか、半年なのかは個人差があります。それができてから「積極技法/介入作業」をしてもらいます。

もう1つは、すぐに作業同盟ができそうな心理カウンセラーを探すことです。いわゆる「この人なら分かってくれる」と期待できる人を探して、会ってみて「あ、やっぱりそうだ」と思えるとよいわけです。

私のような開業セラピストはブログなどを読んだクライアントがセラピストを選んで申し込むので、このパターンが多いです。「はじめまして」とドアを開けた瞬間に「あ、大丈夫だ」と思ったという感想が多いです。

「傾聴的態度」に相当する部分を事前情報(ブログなどから伝わる人柄や思想)が補うわけです。

宗教的な影響の大きな文化では、宗教者(牧師や僧侶)も「傾聴的態度」をすっとばしていきなり助言したりしますね。それは宗教が「傾聴的態度」に相当する部分を補っているわけです。

医師や心理師の肩書、白衣などはどうでしょうか? それも「傾聴的態度」の部分を補うかもしれません。なんせ、初対面でも医師の前では服を脱ぐ人は多いのですから。

オネエキャラのセラピストが「ズバリ言うわよ!」とかいうのがわりと許されることがあるのも、マイノリティ性が「傾聴的態度」の部分を補っているわけです。

あなたが何を信じているかによって、選ぶ相手が変わります。

疑り深いのはよいことです。ですから、申込に緊張する/不安があるというのはよいことだと思います。

それは「自分は何を信じているのか」という問いでもありますね。

心理セラピストの自己一致

そして、上記のメタモデルを使ったもう一つのヒントは、心理セラピスト/カウンセラーの自己一致についてです。

「積極技法/介入作業」で深層心理や個人的葛藤などの、いわゆる深いところを扱うなら、心理セラピストの自己一致が問われます。

「大丈夫ですよ」と言いながら心の中で「この人は大丈夫でないな」と思っているとかは、自己不一致なんですね。

「カウンセラーさん、私のことが嫌いなんでしょ」と言われて「い、いえっ、そ、そんなことはありませんよ」と笑顔をつくるなんてのも、自己不一致ですね。そこで「あなたの言葉がきついので、正直いってちょっと苦手です。バレましたね」と言えると自己一致というわけです。(ただ、公的な相談窓口などでは、そんな自己一致は許されないかもしれません)

「介入作業」の中でも感情などを扱う心理セラピーでは、自己一致がないとなかなか上手くいきません。クライアントを信頼しているか可哀そうと思っているのか、好きなのか嫌いなのか、幸せになれると信じているのか、本心が問われます。

極端なことを言えば、場合によってはクライアントの前で不機嫌な顔をみせちゃうセラピストの方が自己一致は高いかもしれないわけです。ただし「あんたはこうだ」とか言ってくるのは自己一致ではありません。

あまり大きな声では言えませんが、本気で喧嘩する関係を通してパーソナリティや精神の問題が解決していった人もいます。それまで押しつけがましい医師か、はれ物に触るような態度のカウンセラーにしか会ったことがなかった人が、はじめて自然な喧嘩が出来てとても嬉しそうでした。どの医師も信用していませんでしたが、その後すぐに柔軟性を獲得し、信頼できる精神科医をみつけました。

本当に聖人のような人ならそれもよいですが、聖人のフリをしている人はちょっと向いてないかもしれません。

そこはあなたがどれくらい素直に騙されてくれるかにもよるのですが、この点に限っていえば心理セラピストの自己一致は高いにこしたことはありません。

なので、よい心理セラピストにちょっぴり社会規範から外れた感じの、いわゆる自由な人がいるわけです。

で、上述のメタモデルに戻りますが、階層の土台になっている「傾聴的態度」あたりは、どんな相手にも肯定的態度で接するというような実践でもあります。それは無難で人を傷つけないですが、そこを頑張ると自己不一致的にもなりやすいです。

「私のこと嫌いでしょ」「そんなことありませんよ(ニコッ)」

みたいな、「相談員/カウンセラーとしてあるべき態度」をやっているわけですから、それはその人自身ではなくて、理想の相談員/カウンセラー像を演じているという面は出てくるでしょう。

実際には、バランスをとって、

「私のこと嫌いでしょ」「えっ、びっくりしました」

くらいを目指すのでしょうか。(笑)

まあ、公共の相談窓口なんかは、多少わざとらしくてもド傾聴でないと恐いかもしれません。

なので、もしあなたが傷つきやすくデリケートなら、「傾聴的態度」重視の支援者を探すのもよいかもしれません。

もしあなたの悩みが、深くつっこんだ「介入作業」を必要とするなら、「傾聴的態度」が軽めでも「作業同盟/治療関係」になれるような人を探すのは価値があるかもしれません。

もちろん非常識で口が悪ければよいというわけではありません。

あなたはメタモデルの上層/下層のどちらに軸足をおいて心理支援者を探しているのか、ちらっと考えてみるのもよいかもしれません。

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