勇気ある「1%な人々」の傷ついた心

いつか書いてみようと思っていたことがあるんです。

高校の体育祭で、クラス対抗の応援ダンス合戦というのがありました。
私がいたのは男子だけのクラス。「女子がいるクラスでは出来ないようなバカなことをして、笑いをとる」ことが恒例となっていました。

ダンスの決めのポーズのところで、ペアの一人が胸をつきだし、もう一人が”乳を揉むポーズ”をしようということになったのです。みんな楽しそうです。私はそういうの苦手なのですが、「まあ、いいでしょう。やるんですね、わかりました」という思いでした。

さて、本番となりました。生徒の家族などの外来者を含む大勢の前でダンスが始まりました。男子クラスだから変なことをしてくれるだろうという期待で見られています。カッコいい音楽から、急転して面白い音楽に切り替わり、そして問題の”乳揉みポーズ”。

やったのは私だけ。

・・・。あぁ、感じます、こういうのを”感情”というのですね。168283-small

みんな恥ずかしがって裏切ったのです。練習では大喜びでやってたくせに。

誰かがやれば、何人かはやるだろう、その誰かに私がなろう、そんなふうに思いました。しかし、3回ともみんなやらなかった・・・。数十人いるのに、誰も・・・。男同士の約束が・・・。

率直な感想ですが、

 「おまえらのその弱さが、私には分からない(怒)」

実は分かりますけどね。私も恥ずかしかったですもの。

だからこそ裏切れないんじゃないですか?

しかし、それは超少数派だったわけです。(セラピストを選ぶなら、こういう人を選びましょう^^;)

ところで話は変りますが。
対人不安とか対人緊張だとかきくと、度胸がない人のイメージがありませんか?

しかし、それを探っていくと、”自分だけはズルしなかった”とか、”自分だけは裏切らなかった”とか、”自分だけは正しいと思うことを実行した”とか、むしろ勇気のある人だったというエピソードが出てきたりします。

なにか思い当りますか?

そう、みんな自分がビリになりたくなくてズルをした。みんな人を見捨てて裏切った。みんなビビッて正しさから目をそむけた。でも、あなたはしなかった。なにか思い当りますか?

倫理的なことに限らず、そういうのを私は1%体験と呼んでいます。武勇談でなくてもいいかと思います。

1%体験者は人口の1%しかいないわけではないです。

しかし、それがあるあなたは、本当に特別です。それゆえに苦しんだでしょう。苦しんで、何も感じない、存在しない0%な生き方をした人もいるかもしれません。

でも、特別であるために、宇宙と通信できたり、人に見えないものが見えたりする必要はありません。

人生の後半では1%体験を大切にして100%な生き方を。あなたも癒しの道へ踏み出しませんか?

心理セラピーは自分を大切にするとはどういうことかを教えてくれます。体験しに来てください。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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