トラウマと恐怖症の違い

Kojunはいわゆるショック・トラウマの他に、アダルトチルドレン(AC)の悩みを広義トラウマと呼ぶことがあります。トラウマがその全てではありませんが。

※「広義」とつけるのは、診断名PTSDに限定しないという意味です。

※ここでは医学的診断とは別次元の話をします。

トラウマと過去

トラウマというと、一般的には過去の出来事に要因があるという意味でつかわれる言葉かと思います。出来事は瞬発的なものも、継続的な体験もあります。

つまり「過去」が関係している。

司法的な意味なら因果関係ということになりますが、心理セラピーでは原因がどうかはあまり問題にしません。

アドラー心理学では、トラウマは存在せず、過去の出来事に対してトラウマという意味づけをしているにすぎないと言います。これは自己啓発系の人たちにとても人気のある考え方ですが、Kojunはそのように過去から目を逸らして苦しんでいる人たちも見てきました。

では、Kojunは過去に悩みの原因をみつけようとしているのかというと、違います。

心理セラピーと過去

Kojunの心理セラピーでは、どのようにすれば悩みが解決するかに興味を持ちます。

その観点で言うと、トラウマとは「過去の出来事を扱うことで解決しそうなお悩み」と定義できると思います。

目的論による定義ですね。目的論だけど過去を重視するわけです。

「過去の出来事が原因となっているお悩み」ではありません。

たとえば、認知療法や暴露法(行動療法)は原体験まで過去に遡らなくても、最近の感情や思考、今日の行動を扱うことで成果が出ます。つまり過去を扱わない手法です。

そのような手法で解決する悩みは、たとえ過去の体験によって生じていたとしても、トラウマとは呼ぶ必要がないとうことです。

※医学的診断のことではありません。セラピーでの方針決めの意味です。

それに対して、過去の記憶に触れることが必要なケースというのがあります。そのように見立てた悩みはトラウマと呼んでいます。

たとえば、犬に噛まれて犬が苦手になったとしても、行動療法(犬に近づく練習とか)で悩みが解消するなら、それはトラウマではなく恐怖症として扱います。もし、噛まれた当時の様子(誰も助けてくれなかったこととか、笑われたこととか)を扱う必要があればトラウマとして扱うことになります。

つまり、トラウマとは、過去がまだ完了していないということです。

認知行動療法をベースとする療法であっても、PTSDに効果ありとされるもの(PEやCPT)は、たいてい過去の記憶を扱います。PTSDはトラウマと呼べると思います。

具体例

たとけば、「人に嫌われるのが恐い」というお悩みだったとします。

人の集まりに参加したり、好かれたり嫌われたりする経験をして慣れること(行動療法)で解決しそうなら、トラウマと呼ばなくてよいでしょう。

「すべての人に好かれなくてもよい」とか「嫌われても困ることはあまりない」というように物事の捉え方を修正(認知療法)して解決しそうなら、トラウマと呼ばなくてよいでしょう。

しかし、それらでは解決しない感情パターンや行動パターンがある場合は、過去の原体験の記憶を扱うと解消することがあります。

そのような場合は、過去を扱ってみるぞ、と言う意味でトラウマと見立てます。

Kojunは、誰かを責めるためではなく、解決法を選ぶためにトラウマという概念を使います。

アダルトチルドレンも過去の原体験を扱う必要を示唆する意味では広義トラウマを持つと考えます。

つまり、トラウマとは自分の不幸を説明するためのものでもなく(アドラー心理学に賛成)、意味づけに過ぎない手放すべき解釈でもなく(アドラー心理学に異論)、解決のための戦略的な見立てであるとKojunは考えています。

変わりたくない人のこと

不幸の理由を教えてくれる原因論も、アドラー心理学の原因否定型目的論も、分析者の視点だと思います。Kojunは当事者の視点で捉えます。

Kojunも「変わりたくない人」をたくさん見てきたので、「変われるのに変わる勇気がない」とアドラーが言いたくなるのも分かります。そんなブログ記事も過去に書いていたかもしれません。

でも、変わりたくない人は、原因論も言い訳に使えますが、アドラー心理学の目的論も言い訳に使えます。

「私は虐待を受けたから愛着障害なのはなのはしかたない」とも言えますし、「過去を振り返ってはいけない、だから愛着障害の克服に取り組む必要はない」とも言えます。解決法があることを知らない人は原因論の言い訳を、解決法があることを知ってしまった人は目的論の言い訳をすることができます。

変わりたくない自分と、変わろうとしている自分というのがいて、どちらも大切にしようというのが現在のKojunの考えです。

変わろうとしない人

たとえば、性暴力被害をきっかけに楽しい恋愛ができなくなっているという人に対して、「あなたは楽しい恋愛をしないという決断をしているのです。そしてそのために、性暴力被害トラウマという意味づけを自らしているのです」などとは言わないほうがよいと思います。

正しいとしても、言わないほうがいい。せっかくその人なりに一歩一歩できることをしようとしているのに、くじかれてしまいます。場合によっては二次被害(セカンドレイプ)の傷を受けます。

性暴力被害トラウマの人も、克服プロセスに躊躇することはよくあります。勇気が必要? あたりまえでしょう。相談に来ているだけでも十分に勇気があります。

※「正しいとしても」というのは、たしかにクライアントさんは「トラウマ」という概念の奥に、もっと大切で触れがたいものを持っていることがあります。しかし、「トラウマだから」という仮の因果律を捨てるよりも、その仮の因果律を使うほうが心理セラピーにも辿り着くし、真実やPTGに近づけることもあるでしょう。

勇気が必要というのは、治療者と当事者の歩調があっていないって言っているだけでしょう。

ご自身がその勇気とやらを実践している人は役に立ちますが、そういう人は言うより見せます。

ただ、トラウマという意味づけを煽っている発信者やコンテンツはありますので、それについてはアドラー心理学の批判は当たるように思います。

専門家が不用意に「あなたのそれはトラウマですよ」とか「あなたは愛着障害でしょう」とか言うのも、あまりよくない影響がありえます。そのあたりはアドラー心理学に一理あるように思います。

クライアントさんたちは、起きていること全てトラウマのせいにしているのではなく、自分の生き方次第と受け止めて、幸せを選んだうえで、それでもどうしようもないことについて相談に来ます。

幸せになろうと思っていなかったら心理セラピーなんかしに来ませんから。意志でなんとかなることは、とっくにやってます。心理セラピストはその先を手伝うのだと思います。

トラウマだけではないケース

アダルトチルドレンが持つお悩みの中でも、大人の愛着不安定(愛着障害)や境界性パーソナリティなどは、トラウマと呼ばないことが多いです。トラウマを含むことはよくありますが、中心テーマは原体験というよりは、何かが得られなかったことでありがちだからです。過去を完了するだけだは解決しないことが多いように思います。

※当サイトの記事には私見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。学術目的の研究事例ではありません。

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