以前にも同様のタイトルで書いていますが、少し観点を変えて書いてみます。
「恐さ」に関しては、気楽に「解放しましょう」と言えないようなところがあります。いくつかに分けて考えてみましょう。
抑圧そのものが悩みの原因なら「恐さの解放」がありえる
恐さを抑圧している(感じないようにしている/なっている)場合で、その抑圧が、「恐がることは弱さだ」「恐がったら負けだ」「恐がることはけしからん」という社会規範とか価値観のようなものによる場合は、「ちゃんと恐がれるようになる」ということが悩みの解決の鍵になることがあります。
「恐がることは悪いことではないよ」「恐くてもいいんだよ」みたいな感じですね。
それによって、恐がれないゆえに攻撃的になるとか、恐がれないゆえに挑戦を避けるとか、恐がれないゆえに判断を誤るなどの心の問題が解決したりします。
「恐がることが恐い」の克服とでもいいましょうか。「認めていなかった恐さを認める」「恐さを許す」という感じでしょうか。
心理セラピストの役割として、ここに少なくとも一人は恐がることを蔑まない人がいますよっていう受容者があるかと思います。ですから、「オレは何も恐くないもん」みたいな心理セラピストは向いていないかもしれません。恐さを尊重し、それでいて味方になってくれるような人がよさそうです。
この克服を体験すると、たしかに「恐さの解放」「恐怖感情の解放」という言葉がしっくりする場合があります。体験者の感覚からして、「恐さの解放」という表現はありえると思います。
今は恐くない過去の恐怖も「恐さの解放」がありえる
子どもの頃に近所のお婆さんに怒鳴られたとか、今(大人の自分)なら脅威ではない事柄については、セラピストやアシスタントが寄り添いながら子供にもどって恐怖を感じて完了するイメージワークが役立つ可能性があります。それも解放というイメージに近いかもしれません。
悩みの本質は、恐いと言う/表現する機会がなかったということになります。「恐かったということを分かってもらえなかった」というテーマとも言えます。
クライアントの中に「今でも恐がっているあの時の自分」がいてメッセージを発しているというイメージがしっくりくるかもしれません。その子を救済するイメージワークや、その頃に戻って救済されるイメージワーク(サイコドラマ)が役に立つことがあります。
感想としては「やっと恐がることができた」「自分を分かってあげることができてよかった」のようなものがあります。
ただ、「恐い」や恐怖をなんでもかんでも解放すればいいってものではありません。他の場合もみてみましょう。
ショックトラウマの場合は「解放」ではない
ショックトラウマの場合、その時のことを思い出してもらったりするセラピー(あるいはクライアントがご自身のペースで自ら語り始める)ことはあります。そのとき恐怖感情も出てきますが、体験した人の感想として「解放したー!」というのはあまり聞きません。
「恐怖感情の完了(恐怖感情が役割を終えた)」または「恐怖が過去形になる(恐い→恐かった)」といった感じになります。
記憶への馴化(思い出すことに慣れる)、記憶を掌握する(思い出すことは、事件が再発することではないと体験的に知る)というようなことが目指すところですので、溜まっているものを出すみたいな感じではありません。やり方としても、ちょっとずつ記憶(出来事とか、身体が覚えている感覚)などに触れてゆく感じです。触れることと安全との間を振り子のように往復するとも言われます。
それにはコツがあるので、それを心理やトラウマの専門家に習うといった感じです。そのコツを教えるのが上手い心理セラピストがよいでしょう。技法のキーワードはフォーカシング、ソマティック、脱感作、耐性の窓あたりでしょうか。