「科学的」が不幸を招くとき

たとえば「ポジティブな姿勢や言葉を使えば、いろんなことが上手くいく」ということが、「科学的に証明された」と言われたりします。

実はこれ、間違いなのですが、よく信じられます。

「科学的」という言葉を使うと科学でなくなる

実験室の中の出来事に科学というお墨付きをあたえると、実験室の外でも成り立つと信じられます。

その科学的証明とは、たいていこんな実験のことです。ポジティブな姿勢や言葉を実行した場合と、ネガティブな姿勢と言葉を実行した場合を比べて、そのあとの課題の成績が前者の方がよかったという実験結果が得られたということです。

確かにそうでしょう。商談の前に胸をはって「よーし、うまくいくぞお」って声に出した方が、商談の前に背中を丸めて「どうせだめです」と呟いた場合よりも、商談の成功率は上がるでしょう。

しかし、一方で、胸をはったり「うまくいく」と叫ばせたりする自己啓発セミナーで上手くいかず、どんどん自信を失ってゆく人たちもたくさんいます。

実験によって証明されたのは「ポジティブな姿勢や言葉を使うことで、上手くいくことがある」ということであって、「常にポジティブな姿勢や言葉を使うと、常に上手くいく」ということが証明されたわけではないということです。

つまり、科学的という言葉をつかって一般化しすぎることが、科学的でなくしてしまっているのです。

「実験によって証明したから科学的だ」

「科学的なことは、いつでもどこでも常に正しい」

「どんな人にも、どんなケースにも当てはめてよい」

となってしまうのです。

「上手くいくことがある」と理解しているかぎりは、とても有益な知識となるのですが、「常に上手くいく」「それだけが上手くいく」と一般化をすることで人を不幸にしています。

つまり、「科学的」という言葉が使われたとき、もっとも「科学」は危険だということです。

まして、「ポジティブな姿勢や言葉を使わなければいけない」と他を否定するように論理的失敗をすると致命的です。逆は必ずしも真ならずなのですが、そこを科学主義者は間違えてしまうわけです。

魔法の言葉

「これが科学的な結論です」とか「これは科学的に導き出された方法です」と言われると、人はそれだけが正解だと思い込み、他の可能性を考えなくなります。

思考停止を導く魔法の言葉が「科学的」です。

テクノロジーは正しくなくても機能する

そもそも、「上手くいく」を扱うのは「テクノロジー」なのですが、それを「科学」と呼ぶところに、取り違えがあります。

心理学は自然科学に対して劣等コンプレックスをもっているらしく、テクノロジーを科学と呼んでしまいます。

テイラーの「科学的管理法」も科学ではなくてテクノロジーです。

「テクノロジー」だと思っていれば、正しい/正しくないという評価はしません。使えるところに使うだけです。

たとえば、多動症の子供の足をイスに縛りつけると授業中に歩き回らなくなります。多動症に効果があることが科学的に証明されました! となりますね。

証明されたのは「歩き回らなくなる」ということですが、正しさは証明されません。

科学者は科学的と言いたがらない

「科学」と言いたがるのは、何かを「科学的ではない」として叩きたいから。

本物の科学者は「こんな研究結果があります」とは言いますが、「科学的に証明されました」とは言いません。「科学的に証明されました」という言葉を使う人は、何かを売ろうとしているか、何かを怨んでいる人だと気づくでしょう。

正しく結果を理解したならば、ポジティブな姿勢や言葉で上手くいかない人たちへの理解も深まるでしょう。ポジティブな姿勢や言葉は上手くいかせる作用があるのに、なぜその人たちはうまくいかないのか、そこにこそ大事な鍵がみえてくるからです。

場合によっては、ポジティブな言葉や姿勢で上手くやる人たちが病んでいて、上手くやれない人たちがまともであることが浮き彫りになったりします。マジョリティが健全でマイノリティが不健全とは限りません。

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