認知行動療法の狭義と広義を区別しよう

認知行動療法については、狭義と広義の2つの意味があるようです。

認知行動療法(狭義)=狭義CBT
ベック博士に由来する認知再構成法。自分の感情の背後にある自動思考に気づき、「認知の歪み」を修正してゆくというもの。
認知行動療法(広義)=広義CBT
実証的に効果が確かめられた心理療法の総称。

実証的に検証してゆくというのはCBTの1つの方針ではあったのですが、それがCBTの定義にすり替えてしまうのはちょっとどうかなと思います。

この広義CBTを認知行動療法の定義にしてしまうと、CBT派が批判してきた人間性アプローチや精神分析系の心理療法で昔から行われていた手法であっても、実験心理学の手続きで効果が実証されたとたんに「あ、それも認知行動療法です」と略奪してしまえるわけです。

この定義、まあ酷いと思います。

チベット瞑想や森田療法のような永い歴史のある手法なんかも、ちょっとアレンジして「第三世代の認知行動療法」だとか呼ばれていたりします。

広義CBTは手法の名称ではなくて、主義の名称だろうと思います。「実証主義」とかですね。

また、かつて性暴力被害者や愛着不安定などに狭義CBTを適用して上手くいかなかったケースがありましたが、後々の広義CBT(当時のCBTとは全く違った手法)でそれらをカバーできてしまうと、狭義CBTが広義CBTにすり替わって過去の間違いが正当化されてしまいます。そして常に「やっぱりやっぱり認知行動療法が最先端だ」という間違った認識になってしまう懸念もあります。それを信じてしまっている若い心理専門家も増えてきています。既成事実化というやつですね。

狭義CBT自体は有用ですし、広義CBTに含まれる手法にもそれ自体に悪意はないかもしれません。ですが、政治的には言葉のすり替えが起きてしまっていることには注意したほうがよろしいかと思います。

ここで指摘しているのは各CBTの良し悪しではなくて、言葉のすり替えが起きているよねってことです。議論の仕方についての議論なので、心理療法ではメタコミュニケーションと言います。メタコミュニケーションが禁止されるとき、深刻な集団的病理につながることが知られています。

また、狭義CBTと広義CBTのすり替えは、異なる療法の混同ではなくて、「療法」と「療法の総称」の混同(システム論ではメンバーとクラスの混同)です。それはコミュニケーション学派などでも問題解決を妨げるものと指摘されています。

科学主義の弱点は、観察者自身を含むシステムを俯瞰できないことにあるかと思います。

※当サイトのブログ記事は私見を含みます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は本質を損ねない範囲で合成・再構成によるフィクション化をしています。

- protected -