クライアントの立場でいいますと、「頭で考えてはいけない」というセラピストやコーチの台詞が、私は苦手です。
セラピストとしての私は、クライアントに対して「頭で考えたことを、感じたことだと思い込まないように」とアドバイスすることはあります。
これらは、だいぶ違います。
多くのセラピストが、「頭で考えても解決しない」と言います。それはその通りで、当然のことです。
私も「精神分析+考えを変える」「認知を修正する」などは本当の変化や癒しをもたらさないと承知しています。
しかし、私が(クライアントの立場で)「頭で考えてはいけない」と言われたとき、そのセラピストは「このクライアントは頭で考えている。感じることを大切にしていない」と頭で考えて決めつけているようでした。
苦しみを訴えて、涙を流している人に対して、「あなたは頭で考えるのをやめましょう」なんて言うのは、そのセラピストが頭で考えている証拠だと思います。
つまりそれは、「この人は頭で考えている」という評価的な思考のせいで、「目の前で人が泣いている」という事実が見えなくなっているということ。そのようなセラピストの態度が、私にとっては恐ろしかったのです。
確かにクライアントは、頭で考えてもいます。しかし、感じてもいます。
自分の感情や感覚から目をそらして、頭で分かろうとしているクライアントの状態というのはあります。それはそれで、感覚を大事にするようにアドバイス(提案)が必要だったりします。なので、「頭で考えずに、感覚を大切にしましょう」というのは、それ自体間違いではないのです。
私にとって恐ろしいのは、「頭で考えずに、感覚を大切にしましょう」という”思考”に支配されたセラピーです。
「私は頭で考えてアドバイスするセラピーはしません」と言いながら「頭で考えるのをやめましょう」とアドバイスするセラピストよりも、自分がアドバイスしていることに自覚的なセラピストの方が私には安全でした。
私は、「頭で考えることがダメ」というよりは、自覚的に頭で考えたり、感覚や感情を大切にすることをオススメします。
クライアントとしての私の経験では、考えることを大切にするセラピストは、涙も大切にしてくれました。考えることを最初から一切否定するセラピストは、いざというときに涙も否定しました。
たしかに、私もクライアントに「頭で考えるのではなく」というチャレンジを提案する場面はあります。
その機会のとき、私は、私の震える体や、私の涙を見せます。クライアントに「頭で考えずに、感じる」ように指示しながら、自分は感じないで人を評価していてどうしましょう。
セラピストの涙については賛否両論あるようですが、私はクライアントに涙を見せる場合があります。気が動転したりはしません。大丈夫です。
大丈夫でないことをクライアントに勧めるものですか。
ワークショップでも、「頭で考えないで、心で感じましょう」なんて参加者に指示するよりも、まずファシリテーターである私がやってみます。
ワークショップによっては、私自身が事例や体験談を使って、声を震わせて、涙をさらす時間を設けたりもします。参加者の心を開くのではなくて、私の心を開くのです。
参加者はまず安全に頭で考え、私を評価して、自分もやってみようと思えたなら、心を開けばよいのです。