主人公モデル: 人間中心の心理セラピー

障がい者支援の分野などで、「個人モデルと社会モデル」という言葉があります。

「障がい」とは障がい者個人の問題として支援したり訓練したりするのが個人モデルの支援。「障がい」とは社会の問題であるとして、社会インフラを整えたり人権などの教育を充実させたりする支援を社会モデルです。

Kojunの対人支援(心理相談や心理セラピーなど)は個人を支援対象とするものなので、個人モデルですね。

ただ、一方で精神特性としてマイノリティや困難をもつ人が排除されない社会も望んでいます。敏感な人や、ウツでブランクがある人など人材市場で排除される傾向にありますが、そういうのは減ってゆくといいなあと思います。講座、ブログ、音声配信などでは、そんな話もしています。心理相談や心理セラピーの潜在顧客に向けてというよりは、ちょっぴり悩んでいる人たち向けて配信していたりもします。こちらは社会モデルかもしれません。

個人モデル ≒ 医学モデル(病気を治す、医療的支援)

社会モデル ≒ 政治モデル(人権の実現)

というような構図もあるようです。

Kojunの心理セラピーはというと、個人モデルでありながら、医学モデルではないなあと思います。

そこでは個人を自分の人生の責任者として扱っています。「治してもらう」というよりは「自分が克服する」という感じです。

個人を自分の人生の責任者とするというのは、起きている問題は本人に落ち度があるという考えではありません。

自分に落ち度はないけれど(ないとしても)、できるだけ自分が人生を選んでゆくというようなものです。

禅語では「主人公」というそうです。

Kojunの心理相談やセラピーは個人モデルというよりは、主人公モデルと言ったほうがいいかもしれません。人間中心アプローチと言っているのも同じような意味です。

責任があるといういのは、英語ではresponsible = respond + able すなわち、「対応できる」という意味です。「私が悪い」という意味ではなく「私が対応する」という意味です。

日本では、問題が起きると「誰が悪いのか」という意味で「誰の責任だ!」となる風習があるのですが、お悩み解決にはこれを手放すことが第一歩となることが少なくありません。

他者のせいにしても主人公にはなれたりします。他者のせいにするときは、他者を自分の人生の主人公に注意したいものです。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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