大阪での心理セラピーを受付開始していますすが、7月1~19日まで個人セッションをお休みします。

エビデンスに騙されるな(2)「エビデンスがある」≒「誰かが儲かる」

前の記事:エビデンスに騙されるな(1)「多くの人に効果がある」≠「私に効果がある」

の続きです。

「セラピストの個人的な経験則や直感ではなく科学的根拠にもとづいて心理セラピーは行われるべきです」という科学主義やエビデンシャリズムは思想であって、科学的に証明されてた事実ではありません。セラピストの個人的な経験則や直感に助けられた人はたくさんいます。それをやめるべきだというのは、それもまた個人的な経験則や直感ではないでしょうか。

結論をいっておきますと、科学主義・エビデンシャリズムの心理サービスもスタイルの1つとしてあってもよいいですが、それ以外の多様性を淘汰・撲滅することはよろしくないと思います。相談者側としては、うまく使い分けるとよいかと思います。

研究は研究者の思想に依存する

統計研究とうのは、研究者が証明しようと努力したことしか証明されません。研究者にとって都合のわるい命題は検証される機会がありません。たとえば、「心理学の学位取得者よりも、社会人経験のある者がカウンセリングをした方が効果がある」などという命題は、実験の仕方次第でYESともNOとも出そうですが、このような専門家の価値を否定すような命題を専門家が熱心に立証研究することはないでしょう。[1]専門教育を受けてもカウンセリング効果に差はないという研究も、実はあるそうですが。されたとしてもすぐに反証すべき批判研究が熱心にされるでしょう。

研究者が治療法Aの効果を実証したい(肯定派)なら、最初の実験で有意差がでなくても、条件を変えるなどして研究を継続し、エビデンスをなんとか出そうとするでしょう。

一方で、研究者が治療法Aにアンチ(否定派)なら、最初の「効果がない」という結果に満足して、それを発表するでしょう。

そもそも、なにを証明したいかによって、仮説の立て方が変わります。[2]帰無仮説

研究者が証明したいこと、研究費を出す人が証明したいことしか証明されないのです。

「エビデンス」は公正を印象づけますが、むしろ統計的エビデンスは利害、思想、価値観が反映されたものです。

つまり、統計研究は物理学のような「真理の探求」ではなく、イデオロギーなどの意図をもってなされるものです。たとえば、認知行動療法のエビデンスが早くできたのは、保険適用して普及させようという意志をもった方がいて努力されたからです。

また、技術向上を目指すエビデンス研究と、競合を叩くためのエビデンス研究があります。

工場の生産性を上げる技術の研究の場合、生産性の高い技術が関心を集めることはあっても、生産性の低い技術が叩かれるということはあまりありません。目的が本当に生産性だからです。

それに対して、エビデンシャリズムではエビデンスがあるものが関心を集めるというよりも、エビデンスがないものを目の敵にします。本当の目的が治療効果の探求ではなくて、イデオロギーや商品の宣伝だからでしょう。

「エビデンスがある」≒「誰かが儲かる」

エビデンスはパワーゲームであるという観点も大事かと思います。

統計検証というのは、なにかを証明しようという意図で研究されます。そこには意思があるのです。研究者の利益にならないものはエビデンス研究がされないです。

たとえば薬物療法についてのエビデンス研究は製薬会社が積極的に実施するでしょう。商売として必要だからです。ですのでお薬のエビデンスレベルは高くなります。

それに対して、玄米食や日光浴がうつ病を改善するという仮説は、製薬会社はエビデンス研究をしないでしょう。そのような療法は 組織的な研究がされず、「〇〇先生が言っている」という低いエビデンスレベルになりがちです。儲からないとエビデンスレベルは下がります。

「エビデンスがある」というのは、「予算のある誰かが儲かる」という意味でもあります。

もともと心理の世界は他流はを貶しあうのが伝統でした。そこにはパワーゲームがあるのです。競合他者を否定するたに使われるエビデンスという言葉には注意が必要です。

あなたが治療者・支援者・研究者ではなくてユーザー(悩みの当事者)だとしたら、エビデンス研究は、販促合戦や派閥争いの目的で行われているという実態は知っておいたほうがよいでしょう。「エビデンスがあるか」もよいですが、「それは人を幸せにする目的で研究されているのか?」ということには敏感になることをお勧めします。

関連書籍:『大丈夫か、新型ワクチン:見えてきたコロナワクチンの実態』岡田正彦 著

※製薬会社や医療機器メーカーによる研究が殆どであることを問題視して、中立を目指したレビューを行っている団体としてはコクラン(Cochrane)があります。医療分野であって心理専門ではありませんが。

※また、Evidence Based Approachの活動は主に生物医学(物理化学が基礎にある)を対象としています。そこでの実践がそのまま心理セラピーにあたはまらない面もあるでしょう。

研究者に都合のわるいことは検証されない

ホモホビア、トランスホビア(性的マイノリティに対して必要以上に嫌悪反応を示す性格上の障害)、すなわち性的マイノリティを差別する側の人々には、認知行動療法とか曝露療法が有効と推測されますが、その実証研究はされてきませんでした。精神医学のビジネスモデルがマイノリティを治療対象にすることだからです。

たとえば、「心理職の学歴や知識は心理支援の成果に関係がない」というような仮説を、学歴や知識に頼って生きている研究者や専門家たちが証明しようとすることも起こりにくいでしょう。

たとえば、性風俗従事者に対してマナー違反の乱暴をする男性客には大学教授が多いと、業界関係者や女性相談員たちから何度か聞いたことがありますが、それについてデータを集めカイ二乗検定で立証を試みる研究者はいないでしょう。いたとしたら、その人は学術界にいれなくなるでしょう。

エビデンシャリズムではそもそも仮説が生まれない

EBA(エビデンス・ベースド・アプローチ)の効用として「効果のない療法が淘汰される」を挙げる専門家がいますが、それは本来のEBAではないでしょう。効果の有無とエビデンスの有無はイコールではないことは先に述べましたが、「検証されていない療法が淘汰される」であったとしても問題です。

今日効果が検証されている療法も、かつては検証されていない療法だったからです。最初は誰かの勘やスタイル、そして経験則、手法化されて修正されながら試されて、やっと検証の対象になって、さらに修正されるわけです。

私は、手法の完成度を挙げるための(改良のための)効果検証を「天使のエビデンス」、他流派を撲滅するための効果検証を「悪魔のエビデンス」と呼んでいます。

療法やメソッドは経験や勘に基づいて改良されて洗練されてゆきます。アメーバのように臨機応変に進化し続けるような手法(アプローチ)もあるのです。

現時点でエビデンスがないとされている、「ときどき効果があるんだよね」とか「私は人はうまくいきました」(事例→エビデンスレベル5)とかセラピストの経験と勘(専門家の意見→エビデンスレベル6)のような手法が、試行錯誤されて将来的にエビデンスレベルの高いものになる可能性はあります。

というより、効果のある手法のほとんどすべてがそのようにして開発されてきたわけです。

研究の分野でも、質的研究(事例研究など)で仮説をつくって、量的研究(実験法などの統計)で検証するといういのを実践的と呼んでいるようです。

ですから、エビデンシャリズムの「エビデンスの有無よって効果のない手法が淘汰されるメリット」というのは危険な考え方だと思います。質的研究の対象となる経験や勘の実践がなくなると検証対象もなくなってしまいます。

おそらく、エビデンシャリズムは、実践のなかで試行錯誤して解決を探すという当事者よりの体験がなく、教科書や講義から学んできた知識人の考えなのかもしれません。

また、この「エビデンスの有無によって効果のない手法を淘汰する」というのは、さんざん人をモルモットに試行錯誤してきた権威セクターが、後発のアプローチに試行錯誤を許さないことで参入障壁をつくる仕組みでもあります。

「薬物療法は副作用に注意して上手にやりましょう」というのも、さんざん副作用の犠牲を人々に強いてからたどり着いたものです。一部にうまくいっている人たちがいる〇〇療法を、エビデンスがないからと批判して、希望者が試してみることさえ許さず撲滅しようというのがエビデンシャリズムの実態です。

プラントハンターという仕事があります。密林の中でランなどの花の新種株をみつけてくる仕事です。珍しく美しい株は生花業界で高く売れるわけです。ところで、プラントハンターは新種株を見つけて採取すると、その一帯の株を焼き払い絶滅させて、競合の手に渡らないようにするそうです。どこまでホントかわかりませんが。

経験と勘の実践の世界で形になってきたメソッドを拾ってエビデンス付けて販売し、一方で経験と勘の実践者たちを「非科学的な自己満足だ」として潰してゆく学術界は、プラントハンターを思わせます。

正しいエビデンスベーストアプローチは、エビデンスないものを排除するのではなくて、エビデンス(既知の情報)とタブララーサ(未知)と経験的直感が必要なのです。測定機器で物理量を測る生物医学と違って、心はセラピストの内省を通してのみ観察できる部分がありますので、セラピストの(自らの)経験と勘が重要になってきます。

※ちなみに、行動主義という立場は、内省ではなく測定可能なものだけに判断を頼る傾向があります

※エビデンスベーストアプローチは、もとも医療(生物医学)で流行しているモデルです。物理化学を使って生物として人間を扱う医療では理にかなってます。

※本来のエビデンス・ベースト・アプローチでは、「エビデンスを批判的に評価しながら参照する」というステップが組み込まれています。

エビデンシャリズム(エビデンス警察)では「エビデンスのないものを振りかざして行う心理セラピーはセラピストの自己満足だ」「エビデンスによって効果のないものを淘汰しよう」などと言われますが、エビデンスというのは肯定するためのものであって否定するためのものではないはずです。クライアントは様々なので心理セラピーには多様性が必要です。正解はクライアントの数だけあると思っていないと扱えないこともたくさんあります。クライアントの言うことを信じて科学や心理学の知識を捨てたとき上手くいったというケースもあります。

効率のためにはエビデンスがあることだけをする心理サービスもあってよいですが、それ以外のことをする心理サービスも必要かと思います。実際に権威のあるサイコロジストと手法で上手くいかなかった人たちが、在野のセラピストのところにきて上手くいくことがあるのは、エビデンスに拘らないオーダーメイドな心理職も多様性の中にいるからだと思います。

参考リンク

続き:エビデンスに騙されるな(3)効果ってなんだ!?

脚注[+]