「殴りたくなる感情を大切にする」というのは、殴ることではないのです。

憎しみや怒りが止まらないというお悩み

憎しみ系のお悩みについて、ざっくりと結論を言ってしまうとこうです。

「殴るべからず」 そして、「殴りたくなる(その奥にある)感情を大切にせよ」

よろしくないのは、「怒っていない」と言いながら、殴る(陰口、意地悪、復讐を考える、裁きを望むも含む)こと。

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そこで、感情解放のセラピーなんかでは「さあ怒りを出しましょう」なんてこともしますが、それが攻撃を意味すると捉えるとあまりよくないんです。

攻撃は必ずしも感情を大切にしない

「殴りたくなる感情を大切にする」というのは、殴ることではないです。

感情X → 殴りたい → 殴る

大事なのは、「殴る」ではなく「感情X」。

これが習得できないと、殴る(遠回しな手段を含む)か、感情Xを押し殺すか、どちらかになってしまいます。

「怒ることは悪いことだ」と信じている人は、攻撃的ですよ。直接殴らないですが、愛はない。親切しながら、攻撃的がつのります。「こんなに譲歩してやっているのに」と。それが「憎しみ」というものでしょうか。

「殴るべからず」 そして、「殴りたくなる、その奥にある感情を大切にせよ」

それができればセラピストいりませんか・・・。でも、人生の転機には、時に、人ってこの実践に挑戦するんですよね。

怒りと攻撃は別のもの

怒ることと、攻撃する(危害を加える)こととは、別のことなのです。

危害を加えたり、罪悪感を追わせたりしたいのは、怒りではなく、憎しみや怨み。

セラピー体験者は、本当の怒りとはどういうものかを知ります。

むしろ怒れない方が人を不幸に巻き込みます。

怒るということは、自分を大切にすること。それは人を大切にすることの前提。

セラピーや何らかの変容のプロセスを経たことがなければ、この文章の意味も分からないわけですが。

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