ここに記載するのは仮想事例です。
主訴
上司(男性)が自分(女性)の肩を揉んでくる。または、食事に誘ってくるのを断れない。それに対して怒りが止まらない。
※似たような構造としては、悪口を言われるとか、ずるいことをされるというようなバリエーションもあります。
なにが起きているか
心理カウンセリングによるケースフォーミュレーションで次のようなことが確認されます。
上司がいないときや、上司を遠くから見ているときに、沸々と怒りを感じる。
その一方で、肩揉み(または、食事への誘い)されているときには、「やめてください」と毅然と言えていない。顔も嫌そうにできてない。
そのような場合の解決像(どうなるとよいか)は、次のように提案します。
肩揉みに対しては毅然と「やめてください」と言える。(ここでは必要に応じて怒りの感情を適切に使います)
一方で、肩揉みされていないときは、平穏な気持ちで過ごす。
起きていることが、解決像と真逆になっていますよね。
怒りの感情が良いか悪いかではなくて、いつ怒るか、いつ怒らないかが逆転しているわけです。
この逆転を解消するのが感情を扱う心理セラピーの目標になります。
心理セラピーのアプローチ
怒ってもしかたないときに怒らないようにするアプローチは、感情コントロールというようなアプローチになるでしょう。それによって世界観が変わり、もっと理性的な対応が出来るようになることもあります。
逆に、怒るべきときに怒れるようになる(実際には叫ぶ必要はなく毅然とした態度をとることになるでしょうけど)ことで、怒りの慢性化を解消するというアプローチもあります。感情解放とか感情処理というアプローチになるでしょう。
なにを先にやるかの違いでしょうか。
クライアントが「怒りの解放」という言葉に関心を示しているときは、前者のアプローチではただの大人しい被害者になってしまうのではないかという心配があるからかもしれません。あるいは感情コントロールでは何かが残ってしまうような気がしているとかでしょうか。
ここでは後者のアプローチについて説明します。
怒りを選ぶ
クライアントに対して、ただ「怒りを表出しましょう」と指示すると、いつもやっている「怒らなくていいときに怒っている」を再現してしまいます。それだと、「ぜんぜんおさまりません」「なおさら怒りが激しくなりました」みたいなことになりがちです。
そっちではなくて、こっちの「怒り」を表出する必要があります。
役立たない怒りと、役立つ怒りとでもいいましょうか。怒りは殆ど役立たないと主張する専門家もいますが、その具体例を読んでみますと「役立たない怒り」のことをさいしているようです。
※「役立つ」というのは相手の態度を変えさせることが出来るという意味ではなくて、心理セラピーのプロセスに役立つという意味です。
役立つ怒りの特徴をあえて簡単に言うと、感じることで(または運動によって)消化されて治まってゆくもので、主語が自分になっているものです。
ですので、表出しても消化されないなら、そのワークは一時停止します。
主語が自分になっているとういのは、「あいつは上司失格だ」とかではなく「私は怒っている」という表現になるということです。これは感情の所有とも呼ばれ、「怒らされている」から「怒っている」への世界観の変容でもあります。
そのまえに恐怖の反転を処理する
ですが、この仮想事例のように「怒りがとまらない」と言っている場合は、怒りのワークより先に恐怖感情を処理しておかないと上手くいかないことも多いです。
つまり、「役に立たない怒り」は恐怖/警戒が裏返ったものであるため、それを安全のイメージや脱感作や、出来事の記憶への馴化で解いておく必要があります。
場合によっては広義PTSD向けのアプローチを取り入れる必要があるかもしれません。
「役に立つ怒り」の練習
手に入れたい怒りは「毅然とNoと言う」ための勇気みたいなものです。
しかし、毅然と言う練習をしてもなかなか行動パターンは変わりません。そこで大袈裟に怒りの表出をするわけです。
この場合の怒りのワークは、抑圧理論に基づくガス抜きというよりは、怒っても大丈夫という体験をすることで、自分の怒りへの恐怖を解消します。すなわち、怒る練習です。
なかなか表出できない場合のテクニックとして、「役に立たない怒り」を最初に表現してもらうことはあります。まず、相手を主語にしてでも、なぜ怒っているのか、怒ることは正当であるとうということを表現してから、自分に怒ることを許してゆくわけです。
また、虐め被害、暴力被害、詐欺被害などのように相手に悪意や暴力性がある場合にも、相手を主語に怒る段階をとることがあります。
抑圧された恐怖(「役に立たない怒り」の正体)や、自分が怒ることへの抵抗/不安が解消してくると、おのずと「毅然とした態度」に着地してゆきます。
着地してゆかない場合は、認知的な修正、信念の論駁を提案してゆきます。上述の感情コントロールのアプローチですね。パーソナリティに怒りが浸透している場合などは、最初からこちらを重視します。
きっかけが明確なトラウマの場合は、感情処理(恐怖、怒り)から試すことが多いです。
セラピスト要因
認知的な修正による感情コントロールのアプローチの場合は、どのように世界観を変えるのか、ちょっとしたセンスが問われます。そこはセラピストからヒントをもらうことになると思います。
感情処理のアプローチの場合は、感情が消化されてゆくとはどんな感じがセラピストが知っている必要があります。それによって軌道修正をしますから。
また、感情処理アプローチの場合も、セラピストに世界観変容のイメージがあるほうがよいと思います。相手を攻撃することよりも、自分を大切にすることを重視する態度を体験的に知っているということでしょうか。
セラピストがどんな人であるかによっても、怒りのワークが自然と「毅然とした態度」に落ち着くのかに影響するようにも思います。正義で人を責める雰囲気よりは、誰かを守るために闘ったことがあるような雰囲気などが良いように思います。