無条件の自己肯定感!?

言葉の意味は恣意的

「自己肯定感」という言葉が一人歩きして、一部では己惚れていたり、反省がない、努力をしない人のことと思われたりしているようです。

また、ある心理セラピストは「自己肯定感は無条件の自己肯定である」とか言いますが、別の人は「いやいやそれは「無条件の自己肯定」と呼ぶべきだ」とかの意見があるようです。

言葉の定義は恣意的(決めの問題)なところあるとで、その人が使っている意味で聞き手は理解する必要があるでしょう。意味を合わせずに言葉の好き嫌いを言い合ってもしかたありません。

仏教の「唯我独尊」も似てますね。「個人の尊厳」という意味もあるそうですが、「オレ様」の意味に使われることが多いですね。

心理セラピーの「自己肯定感」

心理セラピーで扱う自己肯定感は、己惚れることや反省しないことではありません。

自分の意見や気持を持つことに他人の許可が要らない状態とでもいいますか。

自分に心があるということを許す感じです。たとえば、親の所有物のように育ったり、虐めが慢性化すると、自分の欲求がわからなくなったりします。(分かりやすさのために単純化した例です)

自分の尊厳や人権を受け入れることとも言えるかもしれません。

そして、しっかり自己肯定感がある人は他人の尊厳も認めやすいのです。

ある有名人が言っていた「自己肯定感が強い人って、人を見下してるじゃないですかあ」は、言葉の意味が違うのです。

心理セラピーでは、他者否定(You are not OK)と自己肯定(I am OK)を区別します。

なぜ「無条件」にこだわるのか

「無条件の自己肯定」というと、「怠けてもいい」「オレ様は天才だから努力しない」みないなイメージを持つ人もいますが、それも誤解です。

(ケースによっては「怠けてもいい」というレッスンが必要な人もいます。不要なサービス残業をしたりしますが、健康促進とか癒しはしないなど。しかし、その場合も怠けることが自己肯定なのではありません)

無条件の自己肯定(恣意的に自尊心や自己受容などに置き換えることもできますが)については、セラピー(悩みの解決)では次のことを区別します。

  • 無条件の自己肯定(A)
  • 条件付き自己肯定(無害)(B)
  • 条件付き自己肯定(不健全)(C)
  • 自己否定(D)

(C)は、たとえば、劣等感の強い人が威張ったり、見栄を張るために本当は欲しくもないものを買ったりということに繋がります。「あなたのような貧乏人にはこれは買えませんよね」と言われると、それを買わずにはいられなくなったりします。

(C)は(D)の裏返しです。どちらも(A)の欠如から生じやすくなります。一種のアディクション(不健全な補償)のようなものと捉えます。

(C)と(D)は併存したり、同じ原因や原体験から起きたり、(C)についてカウンセリングすると(D)が出てきたりします。ですので、これら(C)と(D)は同じもの、または近いものと捉えます。

なので、(C)(D)から(A)へと変化することがこのテーマの克服、悩みの解決となります。

また、このテーマを持っている人が(B)を目指しても(C)ぽくなってしまうので、(B)を目指すセラピーというのはやりにくいです。

といえわけで、(A)vs(C)(D)となります。
ここで、(A)と(C)は条件があるかどうかの小さな違いというよりは真逆であることも多いので、そこを明確にするために、(A)を単に自己肯定感とし、「(C)は自己肯定感ではない」と心理セラピーでは表現されることがあります。たとえば「威張りたくなるのは自己肯定感があるからではなく、自己肯定感がないからだよ。それは劣等感であって自己肯定感ではないよ」というように。
これは恣意的な言葉の定義なので、ちゃんと定義を説明することでしか言葉選びは解決しません。考えるとしたらクライアントに分かりやいかどうかですね。

このテーマを克服したクライアントの感想として、「条件がとれましたー」とはあまり言われず、「あーこれが本当の自分に必要な感覚だったのですね」のようになるので、それを単に自己肯定感などと呼ぶのでしょう。

他の言葉

「自己受容」でもよいのですが、動詞ぽいので意識的にしてるニュアンスだからあまり使われないのでしょうか。自分を責めてきたクライアントには自己受容という言葉がよい場合もあるでしょう。

「自尊心」は日常語とバッティングするので、心理セラピーでは避けられるのかもしれません。また、主訴(相談テーマ)の時点で(C)の意味で使われていたりします。たとえば「俺は自尊心が高いから売られた喧嘩は必ず買うんです」みたいに。

自己肯定の穴を埋めるために合格条件を一生懸命探してきたクライアントには、あえて「無条件の」とつけた方が分かりやすいかもしれません。

人を見返すために高価な買い物をする人は「本当の自己肯定感」という言葉で謎を解くのもよいかもしれません。高価な買い物をすることが自己肯定だと思っているのなら。

どの言葉がしっくりくるかは文脈にもよります。言葉の定義の好みで専門家が争うのはほどほどにしたいと思います。

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