「私が悪いのでしょうか」という悩み

原因は見方で変化する

自分が悪いのか、相手が悪いのか、相性が悪いのか、境遇が悪いのか、そういうのは見方で変わる部分があります。

ルールなどを決めれば、ルールに反した方が悪いことになりますが、それだって事情によっては微妙であることがあります。

雨の日に出掛けてずぶ濡れになってしまった場合、雨が降ったのが悪いとも言えるし、傘を持ってないのが悪いとも言えます。

気になっているのは悪意?

悪意があるかどうかという意味なら、自分に悪意があるか考えてみることになります。つまり、お悩みのテーマが罪悪感である場合です。

また、相手に悪意があるのか考えてみるのもよいでしょう。

「人のせいにしてはいけない」は不正確

「私がわるいのでしょうか」というお悩みの背景には、「人のせいにしてはいけない」という道徳もどきがあります。そかし、それには注意が必要です。

「他人と過去は変えられない」というのは交流分析のエリック・バーンの言葉でもあります。そういう意味では、他人を変えようとしていないか(他人が変わってくれることを期待して愚痴言ったり、呪ったりしていないか)ということは内省してみるとよいでしょう。

「他人のせい」という言葉は、他人を変えようとしているという意味と、他人に原因や悪意があるという意味、他人が変わるべき(自分は変わらなくてよいぞ)という意味などが混ざっていて、役に立ちにくい言葉だと思います。

たとえば、相手に悪意がありそうなら、逃げた方がよいかもしれません。そんなときに、「人のせいにしてはいけない」と我慢して留まるのは危険です。問題は相手にあるが、相手が変わることを期待するよりも、自分が行動を変える方がよいでしょう。

もしかして感情の問題?

「私が悪いのでしょうか」という言葉の真意が「相手が悪いと言ってくれーっ」という意味なら、それはドラマ三角形というテーマです。

 加害者:相手

 被害者:自分

 救済者:「悪いのはあなたではない」と言ってくれる人(加害者を裁いてくれる人)

という配役の三角形を作ってしまうという心理現象です。

本当に手に負えない、またはリスクの高い被害なのであれば、そんな遠まわしな表現をしていないでさくっと助けを求めた方がよいです。たとえば弁護士や消費者センターなどに。

多くの場合、怒りを遠まわしに表現するという感情のもつれが悩みの本質だったりします。あとえば、アサーティヴに、または毅然と言えていないとかですね。

不安や悲しみを癒すと解決することがあります。

また、怒りを表出するワークをしてみる場合は、何に怒るのかによって結果の良し悪しが変わります。たとえば、ありそうなのは、「巧みに私が悪いかのように罠にはめてくることに腹が立つ」というように感情の根源を適切に捉えたところで怒りのワークをすると解決する可能性があります。的外れな怒りを出しても、上手くいきません。感情表出のセラピーが上手くいかないという話は、本人と心理支援者のそのような自己一致ミスによるものです。

いずれにしても、感情の問題であると気づくことは解決への一歩となるでしょう。

 

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※セミナー風景、セラピストの顔写真は実際に撮影されたものです。 1

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