オーバーエンゲージメント

トラウマの心理セラピーなどで、出来事想起をしたり、イメージワークをしたりするときに、入り込みすぎしまうことをオーバーエンゲージメントなどと言います。逆に体験から距離をおきすぎてワークにならない状態をアンダーエンゲージメントと言います。それらの間でイメージワークをするわけです。イメージワークに限らず、それらの間のことを「耐性の窓」と言ったりもします。

※言葉の定義は論者によって違いがあるかもしれません。ここでは言葉ではなく意味を捉えてください。

このオーバーエンゲージメントですが、昔は再トラウマになるだとか言って、忌み嫌われることもありました。今では単にセラピー効果が起きない状態とされている印象です。私も後のような捉え方が自然だと思っています。

私は当事者の共同体で実践訓練してきましたが、信頼関係に包まれた中でのオーバーエンゲージメントは私たちにとってホッとするような体験でもありました。そのようなワークの後に笑顔があふれていました。というのは、トラウマ当事者はずっと抑え続けてきた力を初めて抜いてみることが出来た体験でもあるからです。オーバーエンゲージメントはセラピストやワークによって引き起こされているのではなく、もともとあったものが出てきたという感じのこともあります。

※オーバーエンゲージメントにも様々な様態があるので、一概にこうだというわけではありません。

とはいえ、一般の心理セラピーではオーバーエンゲージメントをあえて勧めることはしません。上述の自主訓練でも本人たちが望んでやってしまっているだけで、させられているわけではありませんでした。

オーバーエンゲージメントではセラピー効果は出ないとされていますが、私たちにとってはそれを見守られることが貴重な体験でした。それが基本的信頼感のような土台をもたらして、後の心理実践を支えてくれたようにも思います。

再トラウマというのは、どちらかというと信頼関係や土台の薄いところでやってしまったことによるのではないでしょうか。守ってもらえない、受け止めてもらえないということを再体験してしまうといいますか。

信頼関係に守られている場合はオーバーエンゲージメントではなく、すなわちそれも耐性の窓の中だという言い方、定義もできるのかもしれませんが。

心理セラピストはクライアントのオーバーエンゲージメントを避けるように注意しますが、オーバーエンゲージメントを悪しきものとして怖れているわけではない、といったところでしょうか。

また、耐性の窓の中でも、クライアントさんによっても静かにやるか、思い切ってやるか好みがあります。本人の意向に沿うことも大事だと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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