問題と悪

心理的なお悩みがあっても、少しずつ解決してゆくことはよくあります。それは心の成長の一つでもあります。

それがなかなか進まないとき、一時的ではなく慢性的に苦しい人生になったりもします。

そこで、いろんな心の罠を解いてゆくことも有効なのですが、比較的シンプルな例を一つ挙げてみましょう。

それが、問題と悪の区別です。

「自分に問題がある」ことへの恐怖

自分に問題があると認めることが怖い人は、「問題がある」と「悪である(裁かれるべきである)」とが混同されていることがあります。

「あなたの態度に問題があります」と言われると、「私が悪いっていうんですか!」と腹が立ちますよね。あるいは、落ち込む。

人に言われるとそうなるのは普通のことですが、自己内省の過程でも同じような反応があるとしたら、問題と悪を同一視する傾向が強いのかもしれません。

つまり、自分がもつ問題や原因を認めるやいなや、自分が裁きの対象となるわけですから、それは恐ろしいわけです。

問題と悪の区別

「私の態度に問題(改善の可能性)がある。しかし、だからといって私は裁かれるべき悪なのだとは思わない」という認知が成立できるなら、自分の態度について検討することが可能になります。

「自分に問題がある」というよりは「自分の問題である」のほうがよい表現でしょう。

病名を欲しがる人が多いのは、問題を外在化させたいためでしょう。「私は○○障害/疾患なんだ」というのは、自分に問題や原因があるけど、自分が悪なのではないという意味になるからです。

しかし、病名が問題や原因を表しているとは限りません。

外在化しても、自分の問題であると意識しないと克服に取り組めないので、悪ではない問題というのが必要なときごあります。

「魔物が取り憑いておる」

昔の呪術者は、問題行動のある人(たとえば今日では疾患として扱うアプローチが可能なこと)に「魔物が取り憑いておる」と言ったのかもしれません。それは、その人が問題を持っていることを指摘しながら、その人を悪として裁いても解決しないという意味だったのでしょう。今日の病名と似ています。

ですが、問題と悪の同一視の罠は、精神疾患のようなものに限ったことではなく、人間関係や生き方などにも関わるものです。

魔物は全ての人に取り憑いています。

魔物を無視するために他者を責めたり、魔物と戦おうとして自分を攻撃している人たちが多いのです。

問題は問い

捉える必要があるのは、改善の可能性としての「問題」、解決のヒントとしての「原因」です。

問題(改善の可能性)や原因(解決のヒント)に目を向けるにあたり、罪悪感はあまり無いほうがよいのです。

多少の罪悪感があるのはしかたありませんが、それが支配的にならないということです。

問題をproblemではなくて、questionと捉えてはいかがでしょうか。

問題だけでも解決しない

悪と区別して、罪悪感と切り離したとしても、問題を捉えることに固執しないほうがよいです。

問題や原因を取り除く「原因療法」には向き不向きがあります。

解決とはなにか、も捉える必要があります。

なにが問題なのかは、解決のプロセスによって変わってきます。

解決像と問題を行ったり来たりしてゆくと、だんだんとそれが表裏一体に調整されてゆきます。

問題とは変えたいことであり、解決とは変わることですから。

え? この記事には問題がある? 私が悪いって言うんですかーっ!

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