見捨てられ不安をもつ人は、見捨てられるのが恐いので、人と距離をおくかもしれません。
なにかしらの「見捨てられたかも」サインに過剰反応してしまうから。
ということは、「見捨てられたかも」サインに傷ついたとき、大事なことがあります。
「でも大丈夫」って感じが育っているかってこと。
「傷つかないこと」ではなくて「傷ついたけど大丈夫」という感覚。
これは当事者にしか分からないかもしれません。
別の言い方だと、「傷ついたけど、これも回復へのプロセスの一部なんじゃないか」と思えるようになってきたということ。
こういうのを「癒し」って言うんです。
癒しブームによってリラクゼーションみたいな意味になっちゃったんですが、本来の「癒し」は「空気に触れさせて治癒してゆく」ってことらしいですよ。
つまり、今回、傷ついたのは「傷ついたけど大丈夫」を見つけるためだと。
それを信じることができたから、近づいたのではないでしょうか。
児童精神科医のウィニコットは、養子の幼子は優しく迎えられるだけでは安心しないというようなことを言っています。
かつてワークショップに通ってくる人たちの中にも、そのような癒しを求めて来る参加者がいました。
なんだろうね。へんな言い方だけど、傷つく練習をしに来ているみたいな。いや、ブラックとか暴力者のとこに行っちゃだめですよ。
カウンセラーもそうです。ちょっとずつ傷つきながら、安心感を獲得してゆきます。
ある意味で、みんな同じなのかも。