トラウマにおける「希望」

トラウマインフォームドケアが大切なものと指摘するHEARTSというのがあります。そのなかの「H(Hope)-希望」について書いてみます。

私の心理カウンセリングで実感するのは、他者の事例が希望になるということです。プライバシー保護のために仮想事例を話すことになるのですが、あるいは詳しく話さなくとも、「克服した人がいる」「人生を楽しめている人がいる」ということは当事者にとって重要な情報になります。

それはあるアプローチやセラピーの効果として説明することもあります。しかし、いわゆる効果エビデンスではありません。

よく心理士の困りごととして、「エビデンスがあると説明しても、患者/クライアントさんがやろうとしない」というのがあります。

エビデンスというのは「多くの人が上手くいく」という統計的な話です。それは治療者にとって効率がよいという意味です。

ですので、効果率7割と説明しても、患者/クライアントは「私は3割のほうに入ると思います」と言うわけです。

確率の高さは「希望」ではないのだと思います。

「上手くいく人が多い」ではなく、「なかなか上手くいかないかもしれません。しかし、上手くいった人もいます」と言う方が、深い傷をもつクライアントの目は輝くのです。当事者感覚があれば分かります。

サバイバーとはそういうものだと思います。

つまり、エビデンス(確率的情報)よりも事例(個別の実在)のほうが希望になりやすいということがあるわけです。

これが私の「希望」のイメージです。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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