心理セラピストの LGBTQ・SOGIE 入門


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※短時間で入門できるガイドを心掛けています。世界観や情報源の選択には私見が含まれています。


SOGIEと社会情勢
 

国際情勢

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国連における性的指向と性同一性に関する声明への賛否
青=賛同国緑=反対表明国
国連における性的指向と性同一性に関する声明への賛否 2012 by Knowz

これを見ると欧米が先進的のようにみえますが、そもそも差別を世界に広めたのは欧米のキリスト教文化と植民地開拓であることにも注意が必要です。

いくつかの国では、異性装や同性愛は犯罪とされています。国連加盟国の37%で同性の性行為が違法です。

いくつかの国では、それとは逆に、セクシャルマイノリティの人権を保証するための法律があります。

日本はというと、そのどちらでもなく、セクシャルマイノリティは存在しない前提の法律とになっています。これを「不可視」と言います。

日本の法律も、強制性交等罪(旧強姦罪)が被害者を女性に限定しなくなったなど、少しずつ変化が起きてきます。

参考リンク:

ロシアでは当事者がバリカンで髪を落とされ、「ぼくは恥知らずです」というプラカードを持たされた動画を公開するマイノリティ狩りが流行っていました。

韓国で異性装者は路上で他人に「親が泣くぞ」と説教されてました。

私も来日しているロシア人に頭を拳で叩かれたことがあります。

中東人らしきコンビニ店員に無視されたこともあります。

アメリカのいくつかの州では、LGBTQに告白された人が動揺してLGBTQを殺傷した場合は罪を軽減するという法律があります。

最近のニュース

国連

2016年 排除の代償

 

はたして、経済損失の問題なのかという疑問もありますが、自殺率やホームレスの統計は興味深いです。雇用者による差別によって才能・能力・生産性が失われることは公共サービスの低下にもつながると言っていますが、これは私の身の回りでも実感するところです。若くしてマネージャーに昇進するような人が、カミングアウトをきっかけに職を失って日雇い労働、闇風俗店などで働いています。もちろん自殺も珍しくありません。

イスラムに対する西洋の文化的な優位性を示すためにLGBTQが利用されているという説もあります。
 
同性愛者カップルに育てられた人のスピーチ:

 

国内のこと

日本は本来は寛容で意識は低い!?

日本は村社会だから同調圧力が強い? 八百万や万葉の世界観をもち、神も仏もなんでも取り入れる、マイノリティに寛容?

かつては、手の指が四本の奇形児は西洋では魔女狩りの対象でしたが、日本では神の使いとされました。

ダイバーシティについてなにかと遅れているとされる日本ですが、なんだかんだいって、セクシャルマイノリティたがからという理由での直接的な暴力(路上で殴られる、警察官がゲイバーに頻繁に介入するなど)は少ないです。暴力は少ないが差別はある。

数年前まで女装狩り、ホモ狩りという集団強盗遊びがありましたが、それでも日本はタイに次ぐトランスジェンダー天国と言われています。外国人旅行者にとってはトランスジェンダー天国ですが、自殺は絶えません。

日本での差別は間接的で、差別と気づかずに排除していることが多いです。「わたしは差別なんかしない」と言う人ほど差別しています。

参考映画:

同性婚など

2015年 初パートナーシップ条例(渋谷区)

同性婚については、同性愛者カップル(ゲイ、レズビアン)に関係するものと思われがちですが、戸籍変更していないトランスジェンダー女性(戸籍上男性)とシス男性(戸籍上男性)のカップル等も法律上は同性婚になります。このカップルの場合、結婚するためには戸籍変更が必要で、そのためには望まなくても性適合手術をすることが必要となっています。

論者のコメント


アンチの構造

アンチは、「LGBTQフォビア(セクマイフォビア)」と「LGBTQフォビア迎合」から成り立っています。

※フォビア = 嫌悪、恐怖症

LGBTQフォビア

国や文化にもよりますが、生活実感から推定すると、LGBTQフォビア(LGBTQに嫌悪を抱くという精神疾患)は1割程度くらいいるのではないでしょうか。

LGBTQフォビア(セクマイフォビア、ホモフォビア、トランスフォビア)の治療には精神医療者が大好きな認知行動療法や曝露法が有効なのではないかと思いますが、LGBTQフォビアに対する治療の研究はされていません。LGBTQを病気として治療する発想はありますが、LGBTQフォビアを病気として治療する発想はありません。マイノリティ(異常)をマジョリティ(正常)に換えることが精神医療の伝統だからです。

女性が露出の多い服装で痴漢にあった場合に被害者の落ち度を問われることなどとも似ています。

LGBTQフォビア迎合

LGBTQを拒絶する人の多くは、「私はいいんだけど、お客/周囲が嫌がるかも」と言います。これは「イジメられたくないから、イジメる側に加わる」という心理と似ています。

「近所にいることは平気、職場にいることは不安、家族にいることは許せない」という人が多いです。人間関係が近いほど反発があります。これはアンチが「怖れ」に基づいていることを表しています。

イジメ被害の相談をうけていると、イジメ側の大多数はこのイジメ迎合者であることが分かります。地位の高い人(職場の長、学校の先生)が迎合者(見て見ぬふり含む)であった場合にいじめが狂暴化することが知られています。LGBTQフォビア迎合も同様の構造をもちます。

心理セラピスト的に気になること

政治利用・ビジネス利用

一つは、差別を解消してゆくという流れの中で、政治やビジネスに利用されるという場面や側面も出てきています。多くの支援情報もそれ自体がビジネスでもあったりします。当事者としては、社会の変化を望みながらも、利用されている感じもあるといったところでしょうか。

差別を禁止すると差別が見えなくなる

私のセラピスト的な観点はたいてい反感を買うので書くのははばかられますが…

差別を悪として否定してしまうと、差別を差別であると認める能力がなくなってしまいます。

差別を全面的に禁止したら必ず差別している人は「これは差別ではありません」と主張します。これは人間が持つ「合理化」という防衛機制がはたらくためです。

差別が否定されている環境下では、差別している人が差別していることを自覚できません。

差別がなくなるためには、差別が自覚されなければなりません。差別を否定すれば、差別は自覚されません。「差別を自覚しているが否定されない」という状態を可能にしなければ、人間は差別と向き合うことができません。

ですので、差別するという選択肢があることは、差別がなくなるために必要なことなのです。

「withコロナ」みたいな「with差別」と言えばニュアンス伝わるでしょうか。

覚せい剤依存のネガティブキャンペーンをすると覚せい剤依存の重傷者の数が増えることや、若者のセックスを罪悪として吊るし上げると妊娠を相談できずに自殺する若者が増えることなどと似ています。

正しいことを言っていては、差別はなくなりません。

人を叩く子供に「叩くのは悪いことだからやめなさい」と教えるか、「叩かれた人は痛いよ、それでも叩きたい?」「自分が叩かれたらどう思う?」と教えるか。

LGBT理解増進法案に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」という文言が追加されたそうですが、これにより差別の解消は難しくなると思います。

それは「あがり症」の人があがることは悪いことだと思っている限り克服できないのと似ています。「あがるな」「ひきこもるな」「未成年は妊娠するな」、すべて裏目に出ています。

ペナルティで人を変えようとすると代償が発生する

罰則によって差別を解消しようとするのも、世の受容を遅らせることになると思います。「差別禁止法」というような、悪を叩く主旨では、そうでもしないとLGBTは救われないという被害者という位置におとしめ、「罰せられるから差別しない」という表面的な差別解消になります。

このニュースでは「差別禁止法より手前の理解促進法」と表現されてきますが、私は「差別禁止法」よりも「理解促進法」の方が進んでいると思います。ごまかいこと言うと、理解する必要すらないのかもしれませんけどね。「LGBTQフォビア解消法」がいいかな。以前使われていた「LGBT差別解消法案」という名称はまあまあかもしれません。

「トランスジェンダーを不採用にすると差別だと騒がれる」というのを恐れて、書類審査で落とされたり、本音で話し合わずに不採用のための茶番面接をされてしています。

私も以前は「変わった人ですね。でも、いい人だ」と思われていましたが、最近は「人権を主張するアレですね」と警戒されるようになりました。

職場で差別されながら人権を振りかざして闘って勝って、周囲から仲良くしてもらうようになったという事例はみたことがありません。甘いです。暴力事例も見てきた心理セラピストの私に言わせれば、差別禁止したところで、人を排除したり殺したりする方法はいくらでもあります。

拳銃ひとつ持ったくらいでプロのヤクザの事務所に乗り込んではいけません。どうしてもやるというなら、一発勝負ですよ。(笑)

行政でやるとしたら

差別する人を罰するよりも、差別する人を恐怖症から救済しなければなりません。薬物依存と同じで、罰よりも治療ですね。

もし、「差別」を罰で抑止するのであれば、「差別」を悪として禁止するのではなく、「カギとなる具体的な行為」を禁止する必要があります。システム(罰則)が変えることができるのは、人の心ではなく、人の行動だけです。「差別」という抽象的なもの、思想を禁止せずに、具体的な行為の禁止でなければいけません。「おれはLGBTQが嫌いだけど、ルールだからこうしてる」と堂々と言える禁止ルールでなければ、失敗すると思います。

当事者・アライの心理課題

性的にマイノリティであること自体は病理をもたないですが、マイノリティやアライにも心の課題があります。

心理課題1 不完全なものを叩く

社会の変化は一足飛びで理想に到達するものではないのですが、法改正や制度改革に貢献した医者・行政担当・研究者は、その内容が完璧でないという理由で度々批判の的になっています。

たとえば、パートナーシップ制度が実現したときに「同性婚を諦めさせるための陰謀だ」との批判がありました。

性同一性障害者特例法(戸籍の変更)が成立したときには、「その条件設定が不完全だ」と貢献者たちは批判を浴びました。

心理課題2 望みが言えない

人は自分の望みを述べるのは難しく、自他を攻撃するのは簡単ということです。

「性同一性障害者特例法の条件を緩和してほしい」とは言えず、「性同一性障害者特例法を作った奴は悪だ」と言ってしまいます。

どうして欲しいかを言えずに、誰が悪であるかを言うという性質です。これらは境界性パーソナリティ障害と共通の心理課題であり、克服可能なものです。

当事者が「完璧でない味方」「不完全な前進」に対してどう反応するかが、マイノリティの未来を左右するだろうと思います。

助ける人たちの建前と本音

性の多様性の教育(LGBT教育)を「可哀想な人を助けるためのもの」と捉えている人が多いこととも関連しています。

小学校での授業のあと、子供が「先生はゲイなの?」と聞きました。先生は「んなわけねーだろ」と答えました。子供たちは教科書ではなく、先生を見ているようです。さすが、賢いです。

トランス女性の美容サバイバル志向

美容サバイバル志向型のトランス女性がひとつの定型になりつつあります。これは世間がトランス女性を受け入れるか排除するかの基準として、暗に容姿を重視していることが関係しているようです。女ですから美しくなりたいわけですが、受け入れられたいもあるわけです。この受け入れられたいの比重が大きいと、自分のための美容ではなくて、世間のための美容になってしまいます。シス女性にもみられるパターンですが。この傾向をもつ方は「クオリティの高いトランスジェンダー」というような言葉を使います。自分の魅力というよりも他者比較っぽくなったり、他のトランス女性にも美容サバイバルを強要したくなったりします。

美容サバイバル以外の生き残り方もありますので、トンランス女性=美容サバイバルという社会にならないことを祈ります。

社会側を表す言葉はルッキズム(外見至上主義)ですね。

雇用審査などでは、トランス女性に「ほんとうに心が女ですか?」と確認しながら、それを信じるかどうかは容姿で判断するということが行われています。「容姿が美しく女らしければ、心が女だと信じる」というわけです。

考えてみよう・対話してみよう

性同一性障害か女装趣味か

「性同一性障害か、それとも女装趣味か」ということが問われることがよくあります。「性同一性障害は病気だから仕方がない。女装趣味は許せない」という気持ちをもつ人は多いです。

私にはその感覚がありません。これまで危険な目にあったり、人と助け合ってきたなかで、人徳のある女装趣味さんとも出会いましたし、非情な人格の性同一性障害さんにも出会いました。私にとっては「性同一性障害か女装趣味か」ではなく「いい人か、わるい人か」です。

勝手な推測ですが、マツコ・デラックスさんが自身を「トランスジェンダー」とかではなく「女装家」と名乗るのは似たような意味があるのではないかと思っています。

また、「私は女装です」という人の中には、女性の心をちょっぴり持っている人や、女性の心をもっているが家族事情によりトランスジェンダーになれない人などもいます。

「女装趣味」とされている人たちの中にも診断書をもっていたり、性適合治療をしている人たちはけっこういます。

「性同一性障害か女装趣味か」を問う人たちは、もしかしたら「可哀想か、可哀想でないか」を問うているのかもしれません。または、「安全な人物か、厄介な人物か」を問うているのかもしれません。厄介な人物は、性同一性障害にも女装趣味にもいます。なぜ「性同一性障害か女装趣味か」を問う本当の理由はなんでしょうか? この問いは、自己探求がお好きな方には興味深い世界がみえてくるでしょう。

 

LGBTQのこれまで

LGBTQに対する社会の態度は概ね次のように変遷してきているように思います。


神聖なもの

不道徳である

病気である

個性である

非常識である

多様性の一部にすぎない

前近代には、キリスト教圏を除く各地の社会・文化で、男女以外の性が認められていました。第三の性、霊的な存在、祈祷の役割、相談を受ける者というような社会的地位があったようです。

(現代でいうところのカウンセラーやセラピスト!? 私のことかしら)

日本の古墳から発掘された巫女(女性装飾)の骨のDNA鑑定結果が男性と判明したりしているそうです。

江戸時代には女装男子が接客する茶屋に人気がありました。

西洋から戸籍制度が導入されるまでの日本には、男性の妻となる女性ぽい男性もいたそうです。

参考文献:『女装と日本人』三橋順子

※ちなみにネイティブアメリカンと日本人は先祖が近いそうです。

脱病理化

不道徳や精神疾患として拷問的矯正(たとえば、ゲイに男性ヌード写真をみせながら電気ショックで苦痛を与える、レズビアンに男性との性行為を強制するなど)、コンバージョン・セラピーの対象となることがあります。

私の師匠世代の先人セラピストは、「同性愛を治す」という試みはことごとく上手くいかなかった(セラピーが機能しないか、人を幸せにしなかった)と言っています。

関連記事: LGBTQとトラウマ

医療現場でもセラピー現場でも、それらは治すべき病理ではないことが再び明らかとなり、今日に至ります。(病気扱いしないという動きを、「脱病理化」といます)

いまでもコンバージョンセラピーは行われており、「同性愛や性別越境がセラピーで治った」という事例を宣伝して「治すべきだ」と主張する団体もあります。

映画『ある少年の告白』(ぜひ観ていただきたい映画)

この映画では、ジェノグラム(家系図を使った分析)、エンプティチェア(椅子に向かって話したり感情を出したりする)、ジャーナリング(人生を振り返るレポート)など、心理療法の技法がたくさん出てきます。これらは間違った使われ方、もしくは悪用ですので、それらの技法の良し悪しではありませんので誤解なきよう。意味や目的を取り違えて心理療法の「やり方」が使われる例はたくさんあります。

私が「直すセラピーはしない」とたびたび言っているのは、このことです。

間違いを正すためのセラピーと、本人の望みを叶えるためのセラピーがあるわけです。

※よくこのテーマについて「矯正治療をしている人たちは免許をもっていない」と述べられますが、資格のあるなしでセラピストを判別するのは同じ過ちです。

日本の場合で言うと、性的マイノリティが不道徳や精神疾患とされたのは、明治維新の西欧化(ドイツ医療の導入)からとの説があります。

ただ、精神疾患とされたのは、不道徳という理由で攻撃されることを避けるための次善策という意味もあったかもしれません。

2013年、『精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)』から「性同一性障害(GID)」という言葉もなくなり、「性別違和」という言葉に改められました。(性別越境は精神的な病としての扱いではないことが明確に。同性愛については、ずっと以前に病としての扱いでなくなっています)

2019年5月、長く検討してきた世界保健機関(WHO)も『国際疾病分類(ICD)』の改訂を合意、「性同一性障害」を「精神障害」の分類から除外し、名称を「性別不合」に変更しました。

参考リンク:

多様化する差別

理解者(自称)による差別

LGBT未満の排除もあります。

性別違和(旧 性同一性障害)の人権を認めましょうと意識が高まる反動で、「性同一性障害」の診断書を持っていない人や、軽度の性別違和、Xジェンダー(両性・無性・中性など)、揺らいでいる人などのLGBT未満はニセモノ扱いでパッシングを受けるという新たな差別も発生しました。

身体の性適合治療を望まないトランスジェンダーが、「性適合手術をしないのは、人生から逃げているからだ」と責められることもあります。多くの職場では、容姿の完成度が低いトランスジェンダーをトランスジェンダーのニセモノとして採用拒否しています。

「男らしく・女らしくあるべき論」を脱しても、新たな差別基準「トランスジェンダーらしくあるべき論」が出来てたりします。

自称理解者の中にも、様々な差別や心理バイアスがあるわけです。

 

当事者による差別

マイノリティによるマイノリティ差別もあります。

ゲイがバイセクシャルを「中途半端なゲイ」「裏切者」であるとして批判するということもありました。

トランスジェンダー女性のコミュニティで「半端なトランスはお断り」と掲げられたり。容姿の良いトランスジェンダーが容姿の悪いトランスジェンダーを批判する動きもありました(トランスジェンダー警察)。

当事者や理解者を自称する人の中にも、様々な差別や心理バイアスがあるわけです。

LGBTQに要求される3つのこと

人々がマイノリティを受け入れるきっかけとしては、次のようなものもありました。

  • かわいそうなら許す(悲惨な実話やドキュメンタリー)
  • 面白い/ウィットなら許す(オネエタレントの活躍)
  • 美しい/実力者なら許す(美形女装、エグゼクティブ)

逆に、これらが備わっていなくても、受け入れることができるかというのが、自他への態度として人類に問われているように感じます。しかし、きっかけとしては、これらも重要なものかもしれません。

ところが最近は、上記の3つ以外に、「普通」からはみだす経験などから、共感のようなものを感じるという話も聞きます。「理解しよう」というよりは、違いや理解できないことがあっても仲良くできる世界という大きなテーマの一部として見られることも増えているようです。
(べき論としては昔からありましたが、自然にそう思う人が増えてるかもしれません)
 

ジェンダー・クリエイティブな子供たち

日本にはあまり情報がありませんが、子供たちについては「ジェンダー・クリエイティブ」という言葉が使われます。LGBTQかどうかなんていう大人が頭で考えた枠組みとも違う世界観のようです。

  

嫌われがちなトピックです。

ちなみに私個人の幼児時代を思い出してみると、女子みたいにすることは恥ずかしかったですが、男子の世界も苦手でした。飼っていた動物の餌を準備することでおママゴト遊びをしていました。折り紙で女子を喜ばしたりして、”綺麗なもの”を楽しんでいました。その思い出は取り上げられたくないと思います。また、野球をすることはとても苦痛でした。

小学生高学年で記念品の財布をもらったとき、配布する人が間違えて女子用の財布を受け取りました。私はそれを人に見つからないように隠して持ち帰りました。子供の頃にその財布を使っていたことが、「自分はこれでいいのだ」の最初の一歩だったと思います。大人に取り上げらえなくてよかったと思います。

参考:

何がよいのか私にはわかりませんが、お堅い情報ばかりだなあと思います。ラベリングは本人ではなくて社会が求めていること、と思います。出会うべきは、当事者の先人でしょうか、専門家でしょうか。

次の参考書はちょっと実用的な印象です。
『学校・病院で必ず役立つ LGBTサポートブック』

ちょっと古い番組らしいですが、「性同一性障害かどうか判断する」「専門医に診てもらう」という考えが、そもそも大人や周囲のためのものだと思います。全ては大人や周囲のために、そんな印象です。

発達障害家族の会の方が「発達障害であるかどうかを問題にすると、うまくいかない」と言っていたのを思い出します。幸せなトランスジェンダーは「性同一性障害かどうか」問われることなく周囲から愛されています。

以下などは比較的読みやすく詳しいことが書かれています。
『性別に違和感がある子供たち』

しかし、この手の本は、いかにも医療や学者先生たちが書いた、ひとを対象物として眺めた科学的で問題解決思考なテイストです。データを集め、解明したり論じたりして、制度や啓蒙を進める。

一方で、わたしと出会った人たちは、1時間でこのような議論が必要なくなってしまいます。知識ではなくて存在が世界を変えます。現実を知るための知識は提供しますけど。わたしと仲良くするために、トランスジェンダーを科学的に解明する必要はありません。

また、職場LGBT対策本みたいなのがいくつか出版されていますが、どうすべきかを知識として求めている教育現場や職場に安心はないと思います。

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