ある当事者からみた日本の心理業界の今昔

当事者と心理支援者の両面から見ていた時代の目撃者として、日本での心理セラピー(心理療法)や精神医療の歴史を書いておこうと思います。私は心理セラピスト(心理療法家)で保険医療従事ではないので、在野よりの主観も含まれます。

私も叩かれたり、被支援者からひどい体験談を聞いたりして、たくさんの感動や悲観を経験してきたので、文章にするのが難しいのです。ひとまず精神医療批判ぽいことも書きますが、書きたいのは批判ではありません。何度かにわたって加筆・編集しようと思います。

心理支援業界がユーモアを失ったらおわりと思いますので、ちょっと面白めに書きます。

稀にいた減薬の職人

「ウツ」がよく知られるようになった時期でもあります。(Y族と呼びましょう)

その頃の殆どの精神科医は全ての患者を薬で治療しようとしていました。診察で患者が「よくなってない」と言うと薬がどんどん増やされたりしていました。ある実験によると、複数の精神科医に同じ症状をうったえると、全く違う種類と量の薬が処方されました。心理の勉強はほとんどしていなくても医師免許があれば精神科も開業できるので、開業費用が安いという理由で精神科を開業する人もいたそうです。

※ここでは急増した神経症(≒ウツなどの自覚しやすい患者)を扱う精神科の話をしています。昔ながらのといいますか、入院を要するような精神病(≒自覚のむずかしい患者)を扱う精神科は除外しておきます。

そんな中で、だんだんと薬の量を減らしてゆくことのできる減薬の精神科医も稀にいました。それはひとりひとりの患者をみて試行錯誤する職人芸のようでした。

「2年間通院して薬を飲み続けていたけれど改善せず。新しい医者と出会い1ヵ月で薬の量が減っていって楽になった」という話も聞きました。8年間薬漬けで通院しているなんて話もよくありました。

※薬が助けになる場合もあります。

この時代は、精神科・心療内科というものと、心理セラピー(心理療法)というのは別世界に分離していました。

精神デイケアの登場

お薬だけでは回復しないということで、デイケア(社会復帰訓練プログラム)も導入されてきました。私はその黎明期に最先端と言われたその場にいました。

真面目すぎて、ストレス対処法を知らないウツ患者などは、デイケアを通して回復しました。再発率が下がった(といっても一般の病気よりは高いのですが)ということで、非常に注目されていました。

そこで行われていたことの効果の本質は、ピアサポートだったように私は思います。これは「人薬(ひとぐすり)」とも呼ばれます。

認知行動療法なども取り入れられていました。これは治療者側視点での制度になじみやすく、その後普及します。

デイケア参加者には、いま思えばアダルトチルドレン、トラウマ、愛着不安定のような人たちも来ていましたが、それらの人たちはデイケアでも回復しませんでした(ディープY族と呼びましょう)。デイケアで提供されるのは「訓練」で、ディープY族にはその前段階の「訓練」ではないセラピーが必要だったからでしょう。

在野心理セラピスト・私設心理相談室

2010年頃でしょうか。心に苦しみを持つ人(ウツ病というわけではない)たちは公的相談窓口や医療にたらい回しにされ、助けを探し回って、在野の開業カウンセラー・サイコセラピストにたどり着くという人たちが多くいました。

「アダルトチルドレン」、「生きづらさ」などのキーワードが使われていたように思います。私もその一人です。精神科医5人や心理師さんたちにお世話になったのち、心理セラピーにたどりつきました。

「どうも薬で治すものではないらしい」と気づいているディープY族の当事者たちは出会い、助け合い、生き延びました。生き延びた悩みの当事者たちはサバイバーと呼ばれます。

医療以外の民間、いわゆる在野の開業サイコセラピストやワークショップ提供者はその頃から心理療法(サイコセラピー)をしていました。たくさんの人たちが在野の開業サイコセラピーやワークショップに助けられました。悩みが解消したり、生きやすくなったり。

大学院の心理学部で勉強していない人が心理療法をしているというと、「そんなのはインチキにちがいない」「心理療法で金儲けしやがって」と大学教授などが鼻息を荒くして怒ったりしていましたが、実際のトラウマや暴力や神経症は大学院の研究室や論文の中で起きていたのではありません。人々の生活や人生の中で起きていたのです。その解決の試行錯誤も心理学者ではなく当事者の人生や生活とともにありました。

心理療法は研究所や病院で研究者や精神科医によって開発されてると思っている人が多いようですが、実は在野で多くのクライアントたちのチャレンジによって育ったものだと思います。

在野のカウンセラーやサイコセラピストの多くは、大学で心理学を専攻していない他分野出身の人が多くいます。多くの弟子をもつ私の師匠たちの中にも、元ファンドマネージャーや元エンジニアがいます。

医者以外の者が治療をしてはいけないというルールのもとで、サイコセラピストのもとでトラウマや生きづらさが解消したことは大きな声では言えませんでした。カウンセリングなどで苦しみが消えたなどと医者が発表しようものなら学会を出入り禁止になるなんてこともあったようです。

セラピストの先輩は後輩に「すべてお医者様の手柄にしないといけないよ。そうしないと、カウンセリングやセラピーは叩き潰されるよ」と教えていました。

また、精神科医は薬以外のサポートができる心理セラピーをそれだけ恐れていました。

医師とセラピストはお互いを恐れていました。心のスペシャリストでなくエキスパートであるならその内省に向き合う挑戦をしてもよいかと思います。

民間スクールでカウンセラー/セラピスト量産

(加筆予定)

挑戦

B族の再来

(加筆予定)

カウンセリングに挑戦する精神科医

できるだけ薬を使わない方針をとる精神科医、カウンセリングをする精神科医にも会ったことがあります。

私が診察を受けた印象では、5分間の診察時間(この時間制限には保険制度が関係している)で傾聴カウンセリングなどをするのは無謀だったように思います。

保険制度のこともありますが、わざとらしい「共感」のリアクションをとってくれる医師をみて、「いい人だけどカウンセラーではないな」とも思いました。精神科医とカウンセラー/セラピストは生き方というか人種というかが違うような印象がありました。

心理療法に挑戦する心理専門家たち

かつては当事者出身ばかりだった心理セラピーのセミナーなどに、実技を習おうとすうる臨床心理士もちらほら見かけるようになりました。ですが、デモを見学しただけで真似をして事故る、感情の見立てやら間違えてへんなセラピーになってる、なんて例も体験談としてよくきく時期がありました。カウンセラーたちが「勉強し続けなければならない」と言いますが、私はこの頃から、心理セラピーの習得はお勉強ではないんだなと思うようになりました。師匠の「知識は人を救わない」という言葉が沁みます。

ある時期から、大学教授や心理師/心理士のセッションで上手くいかなかったという相談者の話が増えてきました。心の深いところに触れることに失敗していたり、愛着不安定に対して曝露療法をするとか、癒すのでなく治すために深層心理セラピーぽいことをするという失敗談が多かったように思います。

失敗してはいけないと言いたいのではありません。失敗はプロセスの一部だと思います。しかし、なんというか、先生方の根底には「治す/直す」という発想があるようでした。たとえば、暴力被害トラウマを癒すというのは、症状を治すことではないのですが・・・。

病院がカウンセリング・心理療法を導入しはじめる

カウンセリングで体調が良くなるなんてことはあってはならないと散々否定していた医療が一転して、カウンセリングを導入しはじめました。カウンセリングの効果を世に隠しきれなくなってきたのでしょう。

病院のホームページに「転換性障害とは、心の問題が身体の運動や感覚の障害として現れるもので、薬物療法が効果ないことが多く…」などと、さも心の問題は医療が扱う病気であるかのように見えます。

それは生き方や人生の問題であり、人との柔軟な出合いで乗り越えるものだったものを、どんどん医療マーケットにしているようにも見えます。「とにかく病院に行こう」といった感じです。かつて精神医療なんて危険でしかなかったLGBTQな人たちも今では精神医療のお客様です。

心理療法を育ててきた在野のセラピストたちは制度の外に追いやられている印象があります。

心理セラピストたちにも敗因があると思います。医療が共同で「医者は偉い、信用がある」というブランディングをしてきたのに対して、心理セラピストたちは足の引っ張り合い、客の取り合いばかりしていました。

実力ある心理セラピストたちも安易にスクールビジネスをしていました。カウンセリングよりもカウンセラースクールの方が儲かるからです。人数だけ増やして、心理セラピスト業界というものをつくってこなかったのです。(臨床心理師の世界には尽力があったようですが、詳しくないので割愛します)

つながる当事者・家族会

インターネット・インフラにより、当事者の体験や意見が2日間で数百人にシェアされる時代となりました。精神関連の悩みは人に言えなかった時代に比べると、当事者や家族の情報力は数十倍にもなっています。

当事者家族のグループでかわされている意見や想いなどは、リアルで高品質な対話となっています。心理職者・専門家のグループで交わされている意見や机上の空論などが幼稚に思えるほどです。

根強い偏見や不理解がある一方で、「賢い当事者」「つながった当事者」がもっとも多い時代と言えるのではないでしょうか。当事者エキスパートとでもいいましょうか。このことは業界になんらかの影響をおよぼすのではないでしょうか。

統合アプローチと専門分化

心理セラピー(心理療法)の世界では「うちの手法が一番」とうメソッド信仰がありましたが、徐々にそこから抜け出して、複数の手法を組み合わせる(折衷アプローチ、マルチモーダル)、クライアントの性質やステージや要望によってアプローチが変えたり他サービスを紹介する統合アプローチを実践する人たちが現れはじめました。

統合アプローチは、心理セラピスト側からすると、複数の手法を習得する(なんでもできるを目指す)、得意分野をわきまえてニッチにやる(なんでもやろうとしないを目指す)の両面があります。(Kojunの特徴はこちらを参考:Kojunの心理相談・心理セラピー

医師についても、依存症専門医、パーソナリティ障害専門医などは、一般の精神科とは別の業界といっていいほど違うように思います。ホームページに疾患名がすべて載っている病院よりも、得意分野がある方が期待できるように思います(それでも患者の体験談によるとピンキリだそうですが)。

浅層心理支援と深層心理支援のすみわけ

大学で心理学を学んだものだけが国家試験の受験資格をもつというような制度が整備されつつあります。

制度になじみやすいのは、人に依存しないマニュアル化した心理療法。なので、統計的で浅層の心理療法が流行しているようです。かつての薬ブームにも似ているかも。

医療が心理支援に進出してきたとはいえ、深層アプローチは苦手なのかなという印象です。

…と書いてみたものの

当事者側からみたこの歴史の話は、うまく書けません。正確に書こうと遠慮すると、時代の当事者たちが目撃した生々しい歴史の真実が伝わらない。

今後の編集で、体験談風にアレンジしながら、少しずつ分かり易できればと思います。

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