心理療法による改善率を気にしない

かつて、アイゼンクという人がこんな研究結果を出しました。「精神分析心理療法をうけた人の改善率は44%。と開業医で受診した患者で精神分析心理療法を受けていない患者の自然治癒は72%。したがって、精神分析は効果がない」と。

この研究は後に他の研究者たちに反論研究されているのですが、ちゃんとした批判研究はさておき、私の思うことを書いてみます。

※ここに書くのはアイゼンクの研究のレビューではなく、統計を疑う視点の例です。

統計のマジック

精神科に通う患者たちと、精神分析に挑戦するクライアントたちは、かなり母集団が異なります。私は両方とも数十人の人と深く関わったことがありますが、悩みへの切迫感、治療等に対する考えや態度もかなり違います。

上述のような調査研究は、詳しくみてみないと、

「集中治療室に入った人の生存率は50%。それに対して外来診察室に入った人の生存率は95%。したがって、集中治療室に入ることは危険である」

みたいな話になっている可能性があるわけです。

まあ、おおげさに書きましたが、効果研究がそう簡単ではないことは察していただけると思います。

・参考リンク:「交絡:因果の判断を惑わすもの」国立環境研究所 はやしたけひこ主任研究員

また、改善とはなにかですが、精神分析などを受けない人たちの改善は元の生活に復帰(または、仕事量を減らしての職場復帰)することであるのが多いですが、精神分析などを受ける人たちの改善は生き方を変えることが目的になっています。後者の場合、病は生き方を変えるきっかけなので、新しい生き方が始まらない限り病は手放すわけにはいなかわけです。

上述のような統計数字を使った表現がもっともらしく聞こえてしまうとうことは、よく覚えておいてください。

当事者からみると、改善率44%は悪くない

効果研究によって改善率の低い心理療法を淘汰撲滅すればよいと言う人もいます。

研究者や学者は根本的な勘違いをしています。

当事者から見るとこうです。

深刻な心の悩みをもった当事者の立場からすると、44%の改善率なら素晴らしいと思います。

あなたを長年苦しめた対人不安、そのせいで何度も仕事などのチャンス逃してきた強烈な劣等感、何度も退職の原因になった喧嘩癖、生き辛さなどが44%の確率で改善するんですよ! 数万円払って挑戦する人がいてもおかしくないように思います。

失敗すると命を落とすとか、後遺症や肢体を失うなどの代償のある手術であれば、44%は躊躇しますけど、そうではないですものね。

当事者からみると、他人の自然治癒は関係ない

上述の研究結果では、心理療法(精神分析)をうけなかった人たちの自然治癒は72%とのことですが、それは当事者のあなたになんの関係があるでしょうか?

10年以上も苦しんでいる対人不安、ずっと困っている感情パターン、20年前の暴力被害トラウマ、それらの相談者たちは、現に自然治癒してないた人たちです。

それらが72%の確率で近いうちに自然治癒するでしょうか? 

「他者が自然治癒した率がどうか」ではなくて、「私が自然治癒しそうかどうか」です。研究者にとってはどうでもよい違いですが、当事者にとっては重要です。

その悩みが今にはじまったことでなければ、どうやら自然治癒はしそうにないと判断するのも真っ当だと思います。非科学的と非難されることでしょうか?

誰のための研究か

このような研究者はなぜそんなことを証明したがるのでしょうか? 人の幸せを願っての研究でしょうか?

僅かであったとしても、人が助かっています。なぜ否定する必要があるのでしょうか。

仮にほんとうに精神分析の改善率が自然治癒率よりも低かったとしても、それは「精神分析で改善した人の殆どが、精神分析を受けなくても自然治癒でき」ということが確かめられたわけではありません。

「自然治癒はしなかった人は、精神分析でも改善しない」ということが確かめられたのなら、「精神分析は要らない」という判断にもなるかもしれません。しかし、確かめられのはそういうことではもありません。

当事者が実際に体験するのは、たくさんの患者を診るという体験ではなくて、自分という一人の人間が精神分析と自然治癒の両方を試してみるという過程です。「自然治癒を期待して診察と休養だけしてみる。だめなら精神分析をしてみる」というのが当事者です。改善率が自然治癒より低いということが、それをやめさせる理由になるでしょうか? 研究の目的は当事者を助けるためではなくて、論敵を叩くためだということが見えてきます。

「自然治癒しないけど、精神分析で改善する人」はいるわけです。その人にとっては、それが人生を別けるほどの救済になっているわけです。しかし、まるで「精神分析はまったく効果がない」かのように伝えたくなるのでしょうか?

上述の研究例で、「精神分析の改善率が44%、自然治癒が72%」という話は、あたかも「精神分析で改善しなかった人も自然治癒で改善する」と聞こえますが、そのことは確かめられていません。

調査研究などのレポートをみるときは、それが誰のための研究なのか気に掛けることをお勧めします。

客観データなるものを鵜呑みにしないクライアント(当事者)がたくさんいるのは、一部のサイコロジストが言うように愚かだからではなく、実際に違和感があるからでしょう。

なんどか繰り返し言っていますが、当事者であるあなたに必要なのは「多くの人に効く方法」ではなくて「あなたに効く方法」です。

研究者は「多くの人に効く方法」を見つけると手柄になります。治療者も「一人を助けた」よりも「多くの人を助けた」ほうが尊敬されます。だから「多くの人に効く方法」を好みます。しかし、当事者であるあなたは目的が違います。

また、論敵をやっつける目的で研究している人もいます。

上手くいかないのは、そんなに悪いことか

人生のなかで上手くいかないことなんて、たくさんあります。心理セラピーの場合は、失敗も積み重ねとなることが多いです。

「うまくいかなかったら誰が責任とるんですか?」というサイコロジストがいますが、答えは簡単です。

「私(この場合、クライアントである私)が責任をとります」

で、上手くいかなかったら? それをやめて、他のことにチャレンジするわけです。

ところで、私が自然治癒しなかったら誰が責任をとってくれるんでしょうか?

また、「うまくいかなかったら誰が責任とるんですか?」とうサイコロジストのところに行けば、クライアントが100%改善するのでしょうか? 上手くいかなかったらどう責任をとるのでしょうか? 患者を8年間も薬漬けにした医師も、適用を間違えて精神病を悪化させたサイコロジスト(心理師)も、責任をとったのをみたことはありをせん。

改善率は100%ではないのは承知のうえでの料金です。

必要なのは、上手くいかないと思ったらやめる自由。

上手くいかなかったら他を試す自由こそが守られるべきです。

改善率が低い選択肢を淘汰撲滅するというのは、深刻な当事者にとってさほど重要なことではありません。

これは臨床心理学の学者先生たちからは嫌われる考えですが。

Kojunの方針

心理セラピストとしての私は、改善率を上げたいというよりは、他でうまくいかない人たちの改善率を上げたいです。

つまり心理セラピーサービスの多様性に貢献したいのです。

私はネイティブ・セラピスト、当事者視点なので、全ての心理セラピストが改善率の高いアプローチをしていることよりも、「どこかに私にあったセラピーがある」ということの方が大事だと思っています。

ですので、私のところでは、「多くの場合こうである」という統計データよりも、「あなたはそうなんですね」という個を観ることに比重をおいています。効率は悪いですが、no one left behind にはなります。

もうひとつ大事にしているのは、クライアントの価値観です。改善よりも大事なことがあるクライアントは多いです。治ればいいってもんじゃない、という人。苦しみを生き方を変えるきっかけにしようとしている人、人生の宿題に触れたい人、自分自身に触れる体験を通して納得したい人、などもいます。

改善率は治療者側の成績であって、クライアントの幸せの尺度ではないです。

私も改善率が高いとされる他のアプローチを紹介することがありますが、私のクライアントたちは、改善率ではなくて、自分に合っているかで選ぼうとします。

いくら研究データの改善率が高くても、自分がやってみてダメだったものはやらないです。自分が体験したい人生と違うものはやらないです。

治療者や研究者のために病んでいるのではなくて、自分のために病んでいるのですから。

参考

現在では、「実証的支持を得た心理療法」だけでなく、クライエントの特徴、カウンセラーの専門性をもとに治療法を選ぶことが推奨されている。

『完全図解 よくわかる臨床心理学』岩壁茂 監修

『いろいろ知りたい!心理学史 第4回』サイトウタツヤ
『医療の多様性と“価値に基づく医療”』尾藤 誠司
『完全図解 よくわかる臨床心理学』岩壁茂 監修

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