心理セラピストの勘と経験を禁止する風潮について

エビデンスに基づいたカウンセリングやセラピーをしましょうっていうのが流行っていて、業界団体なんかもそんなことをうたっています。

私なんかは、セラピストや医師の勘と経験にずいぶんと助けられてきたので、勘と経験に対して謝礼を払うのはやぶさかではないです。

「勘と経験だけではなく、実証的なデータも参照しましょう」というEBA(エビデンス・ベースト・アプローチ)は悪くないと思います。「勘と経験を使ってはいけない。それは自己満足だ」とく科学主義はいただけないと思っています。

EBAと科学主義は別物ってことですね。

また、データ重視寄りのセラピストと、勘と経験重視寄りのセラピストと、両方いてもいいんじゃなかなと思います。「エビデンスデータ重視のセラピーをしてます」というのと「エビデンスデータ重視のセラピーしかしてはいけない」というのは全く違います。

これらの違いが区別できない病を「白黒思考」といったりします。境界性パーソナリティ障害の人の心理課題にも似ています。

「勘と経験に頼る」といっても、いろいろあります。

例1:「私の勘と経験によると、〇〇臓器を摘出すると治るような気がします。試しに摘出してみましょう」

これは、取り返しがつかないので、やってはいけないでしょう。ちゃんとレントゲンを撮ったり、数値を測ったり、摘出によって治る率の統計を参照したりしないといけない。EBAでないといけない。

例2:「私の勘と経験によると、自己肯定感の問題がお悩みの根底にあるような気がします。試しに自己肯定感のイメージワークをしてみましょう」

これは、検討してもよいでしょう。もし外れていても取り返しがつかないというほどでもないです。

自己肯定感のセラピーも失敗すれば数週間と数万円の無駄になるかもしれませんし、効果がないわりに嫌な思いをするかもしれません。しかし、臓器摘出のような取返しのつかないものではありません。

薬物療法の場合は副作用のリスクがあるので、例1と例2の間のどこかでしょうか。

つまり、なにを判断するかによって、リスクの大きさが格段に違うわけです。

それらをすべてひとくくりに「勘と経験に頼ってはいけない」かどうか話すことは、実践家や当事者にとっては違和感が大きいです。

また、科学者や心理学者にとっては、成果が出れば手柄になりますが、まだ成果が出ていないことについての苦しみは共有していません。だから「科学的に証明されていることしかやってはいけない」などと言えるのです。

実践家や当事者は「統計的に証明された」なんていう研究成果を待っている時間はありません。リスクとコストが許容範囲なら、やってみることもあるでしょう。

人生は待ってくれません。なにかが証明されるのを待つ必要はありません。自分にとってどうだったか、自分で検証すればいいのです。

「勘と経験でうまくいかなかったら、どうするんですか?」という専門家もいます。うまくいかなかったら、そこから学んで試行錯誤するんですよ。

ところで、勘と経験を禁止することで、人が助かるチャンスが減ったら、どうするんですか? 

そこでまた、上記の臓器摘出のような例を出して、その結論を自己肯定感のイメージワークのようなものにまで当てはめる、その繰り返し。もうやめませんか。その思考パターン、専門家という病を治療したほうがいいでしょう。

「勘と経験」の意味

専門知識によって正解が解っている場合には、それをすればよいでしょう。問題は、正解が与えられていない場合です。

私のところには、そもそも教科書通りでうまくいかなかった人たちがくるので、専門知識の話をするとクライアントに笑われます。そんなことくらい知っているよというわけです。

正解が与えられていない場合に、ヒューリスティックを使うと間違えやすいでしょう。少ない情報で「こうだろう」と決めつける方略のことです。

「勘と経験に頼ってはいけない」というのはとヒューリスティックに頼るなということかと思います。

私が出会ったセラピストの「勘と経験」は、本人をよく観察している、または決めつけていないので、ヒューリスティックではないのです。

参照先としては、科学的知識(といってもマイノリティを切り捨てた統計的な情報)、本人の反応、本人の目的の3つがあると思います。

本人に起きていることが真実であるという考えや、本人の言葉が無視されているというのがよくあります。それをちゃんと聴くとき、おのずと科学的知識とは違う判断要素が入ってきます。

これを科学的知識だけでやろうというのが科学主義です。本人の言うことよりも教科書を信じるみたいなですね。私はそれに反対しているわけです。ですが、心理というのは本人が気づかないこと、気づきたくないことも扱いますので、本人の言うことを鵜呑みにするわけにもいきません。そこで、やはり勘と経験みたいなもが生きてくるわけです。

また、知識が足りないときの方略として、ヒューリスティックとは別に動機充足型という方略があります。これは、本人が何を望んでいるかを頼りに進んでいくものです。

で、この本人の反応とか、本人の目的を考慮するとき、勘みたいなものを使って具体化したり言語化せざるを得ないんですよね。

私はクライアントに、「こうなると嬉しいですか?」「いまやってみたことはあなたの望んでいることですか?」とよく尋ねます。

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