「男らしさ」「女らしさ」はないほうがいいのか

「男らしさ」「女らしさ」のようなものをなくすべきだという論調もあるようですが、はたしてそなのか?

人権という意味では、あってもよいが、強要するものではない、といったところでしょうか。

心理的な苦難を乗り越えて生き延びるサバイバーの観点からすると、「それでも男か」というのと、「男なんだからできる」というのがずいぶんと違います。

「それでも男か」「男なんだから、これができないといけない」というのは、一種の罰による条件付けで、人を苦しめるものです。

「男なんだから、できるよ」というのは、自己効力感につながる可能性があるので、有効に使える考え方です。

ジェンダー平等の視点から、「女だったら、できないのか」となってけしからん考えかもしれませんが。苦しい状況にあって、なりふりかまわず使える考えを使う場合には、有効かと思います。

「女なんだから、こうでないといけない」と「女なんだから、できるよ」にも同様の意見です。

私は性別越境者なので、「男なんだから、こうあるべき」と言われることには苦しめられてきた立場なのですが、自分を男性だと思ったほうがやれること、自分を女性だと思ったほうがやれることというのがあります。

「男だから」「女だから」は心の技術として使えるということです。ラベリングとはそういうものかもしれません。

たとえば、女性がチンピラに襲われているの助けるというような場面。たとえ腕力に自信がなくても、男性の方が助けやすいということはあるように感じます。

出生性(生まれたときの生物学的な雌雄)と一致しないケースは多々みかけますが、心の性のありようとして男らしさ、女らしさはあるように思います。私にとってはモードですが。

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