大阪での心理セラピーを受付開始していますすが、7月1~19日まで個人セッションをお休みします。

そうせざるを得なくなって、そうなっている

私はセラピー手法や理論は、当事者視点のものと治療者視点のものがあると思っています。

治療者と当事者では見ている世界が違うと思います。

たとえば、当事者視点では「足を踏まれて叫ばずにはいられない」ということが、治療者視点では「叫んでいるのは足を踏まれたからだ」となります。

治療者からすると、叫ばなくなることが解決です。それは実際によく試みられています。そして、足が無事ならなおよしです。

当事者からすると、痛くなくなることが解決です。それが無理なら、せめて叫びたいです。

たとえば、ひかこもりの段階として専門家は「退行が全面に」と表現したりします。治療者や研究者にとっては、退行していることがその本質的なのです。

当事者からすると、退行することが最善という現実があるかもしれません。退行せざるを得ない状況が本質的なことでしょう。

つまり、大人になれない人がいるのか、大人になれない状況があるのか。

状況というのは環境のこととは限りません。内なるものも状況です。

治療者は、治ることで幸せになるかは、治ってから考えればよいと考えます。

当事者は、治ることで幸せになるとわからなければ治りたくありません。

それをやめたら大変なことになるからです。

たとえばワーカホリックの人がいます。たとえばウツの人がいます。

それらが治るときに自殺が多いと言われたりしています。だから治療は気をつけましょうと。

あのね、それは治療者の目線です。

治療者はとりあえずワーカホリックやウツを治そうとします。

私たち心理セラピストは治そうとする前に考えます。

ワーカホリックやウツが希死念慮を隠していることがあります。

ワーカホリックやウツになることで、死にたくならずに済んでいるのです。

内なる「生きる価値がない」に対抗して「生きる価値がある」を証明するために、ワーカホリックになっているのです。

ですから、この場合はワーカホリックを治してはいけないのです。「生きる価値がない」を治すのです。

順番が違います。

治療者は本人の抵抗を解きたがります。

当事者は抵抗します。

治療者は二次利得などで抵抗を理解しようとしますが、当事者は抵抗が何に対する抵抗なのか考えることが出来ます。