本人中心アプローチ

支援されて苦しむ人たち

たとえば、施設窓口での手続きが苦手な人がいたとします。心の準備をして窓口の手前まで来ます。

そこで「(手続きが)できますように、できますように」と唱えています。

そこである支援者は「過去にできたときのことを思い出して」と助言します。

これが支援者中心(または治療者中心)アプローチです。支援者からみて「できますように」と唱えるのはなんとも弱弱しく自信がないように見えます。そこで、自信をもってもらうために過去の成功体験を思い出すように促します。

実はこの当人が手続きができないのは「自信がないから」ではなかったりします。手続きの途中で特有のエラーが起きたときに頭の中がいっぱいになってしまうのが恐いのです。

その恐怖を受け入れて、窓口に向かおうとしています。自分なりに準備はしてきました。自分がやることは手続きをはじめること、手続きの中でなにが起きるかは運しだい、ということを受け入れるための呪文が「できますように、できますように」なのです。

そのようにすると上手くいくことを本人は経験的に知っているのです。

この場合は、「運しだい」だと認めることで前に進めるわけです。「自信しだい」では上手くいかないのです。

これはこの当人に独特のことで、一般論ではありません。専門家にとっては多くの人にあてはまる知識(一般論)が重要ですが、本人にとっては自分にしかあてはまらない経験則こそが救いの鍵です。

この例の場合、過去の成功体験を思い出すように促すことは、支援者にとって高確率で成果を出すことができますが、この当人にとっては救いの手懸りを失わせることになります。支援者は10人中8人の支援に成功して地位を得るかもしれませんがが、この当人は幸せになれないわけです。

本人中心と解決志向

本人中心(パーソン・センタード)アプローチでは、支援者の案よりも、本人がやろうとしていることを重視します。

本人が「やっぱりだめだあ」と言ってから、支援者が他の方法を提案します。

解決志向(ソリューション・フォーカスト)アプローチには、「うまくいったら、またやってみよう」「うまくいかなかったら、ほかのことをしてみよう」という考えがあります。それによると、まず本人がやっていることが上手くいくかをみる必要があります。

「自信がなさそうだから、自信をつけされる」というのは解決志向ではないんですね。原因志向です。

解決のための助言をすることを解決志向だという説明もあるようですが、それとはだいぶ意味が違いますね。

成功体験という現在のリソースに目を向けるというのは解決志向アプローチでもやられているようですが、それは解決志向であっても本人中心ではない感じがします。カウンセラーがクライアントがリソースに気づくように促すカウンセリング手法のデモを見学したことありますが、どうも誘導尋問っぽい感じでした。カウンセリング終了時にクライアントは爽やかな顔をしていますが、いざとなったらやっぱり何も変わっていないといういやつです。

いまやっていることが上手くいいかなければ、原因志向や支援者中心アプローチをしてみるのもよいでしょう。

解決志向はよく「原因や問題に焦点をあてるのではなく、解決を志向する」と説明されますが、私は「原因や問題に焦点をあてるのではなく」は不要だと思っています。原因や問題に焦点あてて解決するのであれば、焦点をあててもよいでしょう。「で、解決しましたか? 解決しそうですか?」が大事というだけです。

正解の外にいる人たち

専門家からみて「あ、それ絶対ダメ」というような場合は止めることもあります。でも、基本スタンスは、支援者中心と本人中心にわかれると思います。

治療者や支援者に十分な正解知識がある場合は、本人がなぜそうしているのかなんて無視してもよいでしょう。ですが、その領域は医療や行政に任せたいと思います。

私のところに相談にくる人たちは、当事者研究が必要な人たち。世の常識に従ってもうまくいかない人たち。「ポジティブに考えましょう」「感謝しましょう」「気楽にいきましょう」「諦めるな」「もう忘れなよ」などなどの当たり前によって苦しめられた人たち。
そんな人たちが多くいることが認識されると、治療者や支援者はさらなる正解の勉強をして、それらの人たちにも対応するようになるでしょう。しかし、そこでまた、それに当てはまらない人たちがでてきます。

治療者や支援者の正解知識は常にマジョリティについてのものです。多数や共通の知識です。ひとりひとりの違いは扱いません。ひとりひとりの違いを扱うのは知識ではなくアプローチ。

私も治療者や支援者に完全に理解してもらったことは殆どありません。理解できないと理解してくれる人たちに助けられました。

自傷は生きるため、諦めたのは大切なものを守るため、暴力を受け入れたのも生き延びるため、すべてに意味がある。

臨床心理学よりも占いやオマジナイが劣ると思っているサイコロジスト(心理師)は多いですし、私も信じてはいませんが、人によっては「あたるも八卦、あたらぬも八卦」が必要と思います。

治してはいけない。そんな病もたくさんあります。

正解の外にいる人たちのためのカウンセリングでは、本人中心アプローチを主として、専門的分析を従として組込みます。

それは私自身が生きてきた方法でもあります。

精神病の当事者研究では「半精神医学」という言葉があります、精神医学に耳を貸さないわけではなく、ほどよく自他を信じたり疑ったりするわけですね。

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