「ゆるす」とは、自分の怒りをゆるすことでもある

「ゆるせない」という体験を通り抜ける

私ね、殺したいほど腹立つ人がいます。拳で私の頭を叩いてきたあの人よりも、馬乗りで私の服を脱がそうとしたあの人よりも、騙してお金を取ろうとしたあの人よりも、その人だけはどうしてもゆるせません。

でも、平気なふりをしてきました。そうしていないと、暴れてしまいそうでしたから。

でもついに、ゆるしが訪れました。もう、平気なふりをしなくてもすみます。この体験をあなたに話すこともできます。

「ゆるす」ってなんですか?

暴力被害のクライアントさんたちは、「ゆるす」とは何かと質問してきます。

それは自分が苦しむのをやめたいということどしょう。

それは、言葉で説明することができないことです。それは、心理学の勉強をしても答えられないことです。

でも、一応は言葉でも答えます。「支配されなくなることよ」。

「ゆるす」という動詞ではなくて、「ゆるし」は訪れるもの。

自分の 怒りをゆるす

「なぶり殺しにしたい」と言える。(注:相手が主語の「死ね」ではないです。そして、実際には暴力は使いません)

正気ではないと世間から思われようが、構わずに言える。

「ゆるし」が訪れれば、構わずに言える。言えるけど、言う必要も減ってくる。

エネルギーの使い方が楽になる

恨みや憎しみに使うエネルギーや時間は減ってゆきます。

自分の怒りを禁止するのではなく、自分の怒りをゆるすという体験が起こります。

殆どのクライアントが、癒やしのプロセスが進むと「自分をゆるさなければいけない」と言い出すのは、そういうことでしょう。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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