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国家資格試験を受けておいた

個人的な受験体験を書いてみようと思います。

クライアントは資格を求めていない

資格制度ができたときに、何人かのクライアントに「資格は持ってる方がいいですか」と尋ねてみると、「はあ? 資格なんて信用しませんよ」と言われました。

カウンセリング経験もあり悩み抜いてきた私のクライアントは資格を求めていないことが判りました。彼らは素人と玄人を見分けますが、資格の有無は関係ないと知っています。

インターネットを見ても、「資格を持っているカウンセラーを選んだ方がいい」と宣伝しているのは資格を持っている同業者(のごく一部)かスクール事業者ばかりでした。ユーザーの声でそういうのはあまりない。

外から付けられた印ではなく、その人そのものを観るというのは、心理カウンセラーの基本的態度なので、ちゃんとしたカウンセラーが「資格でカウンセラーを選べ」と言うのも、ちょっと珍しいかなと思います。

資格取得に飛びつく人たちの行動原理は、虐め被害トラウマの相談に登場する「虐められたくないから虐める側に加わろうとする人たち」にもよく似ています。そこもなんだか気持ち悪いです。

受験を決めるまで

スーパーバイザー(個人的な先生)たちに相談しても「え? あなたは資格なんか要らないでしょ」と言われました。

ただ、これまでに、無資格者は研究会に参加させない(一般の素人は参加させているのに!)というような意地悪をされることはありました。そのような締め出しは増える傾向にあります。

いまのところ無資格者にカウンセリング等を禁止する法律はありませんが、事実上の業務独占制度が進む可能性はあります。

「公認心理師のところでセラピーワークしたけど納得いかなかったので、こちらに来てみました」というクライアントが一時期増えたりして、気になってはいました。[1]あっという間に臨床心理士の数を追い越したそうです。 いえ、上手くいかなくてセラピストを変えてみるというのはよくあることで、公認心理師だからというわけではないでしょうけど。

ともかく、厚労省・文科省が何を期待してるのか行政の動きも知っておいたほうがよいだろうとは思いました。

そして、実践ばかりだった私には、浅く広く学びなおすには良い機会です。

制度が整ってしまうと、大学・資格予備校・マスコミなどのコンテンツに「心を扱うには高度な技術が必要で、それを証明するのが資格なのです」などの安易な文句が多発することが予測されます。それを書いているライターたちは資格の有無がどれほどカウンセリング等の品質に影響するかを知っているわけではないのですが、それっぽい表現として既に使われています。

他にも様々な集団心理から、本質ではないところで資格の有無が影響してくる気配があります。まあ、それは資格というものの功罪かもしれません。

私はクライアントから信頼される無資格の自称心理セラピストでいたかったのですが、お勉強に参加しておくことにしました。

現任者とは心理支援の経験者のことではない

移行措置で大学ルート以外に受験資格が与えられた「現任者」とは心理師の業務を既にしている者という、いわゆる実務経験者です。というと、国家資格ができる前から活動している私たちのような開業カウンセラー/セラピストのことかと思いきや・・・・違いました。現任者とは医師、福祉士、看護師、理学療法士、学校教員などのことでした。

面白いことに当初は在野の開業カウンセラー/セラピストは現任者としての受験資格が認められていませんでした。

ベテランの心理カウンセラーたちに現任者としての受験資格がなくて、心理カウンセリングも心理実践もしたことない人たちに現任者としての受験資格があるという面白い状況でした。(もともと医師団体は心理専門家を嫌い国家資格制度化に猛反対してきた経緯があります。[2]だから、カウンセリング等の経験者を排除して、既に医師の支配下にある人たちを心理師にしたかったのか。

後に受験資格は緩和されましたが、心理カウンセラーや心理セラピストは「その他」扱いでした。

受験者たちの印象

ですので、現任者といっても心理については何も知らないという人たちが殆どです。ただ、福祉や教育の現場で生々しいケースに触れている人たちもいました。

「せっかく受験資格があるから受けてみる」というお気楽な人から、目的をもって仕事・家事・育児の生活のなかで毎朝5時から勉強会をしている人たちまで様々。

とくに教育関係者は熱心な人を多くみかけました。支援が必要な思い当たる子供や親たちがいるようでした。

ですが、公認心理師の試験勉強は心理学や行政・法規や医学の浅く広い知識が主で、心理支援の方法を身につけることはできません。誰かのための支援方法を学びたいと考えた人たちにとっては、受験勉強は期待外れだったようです。

福祉・医療・教育の知識はともかく、心理学については大学院卒レベルを想定した試験ですから、お気楽な人たちは諦めたかもしれません。

「とにかく資格がほしい」と頑張る人たちの気持ちは私には分かりませんでした。

これまで私が心理やセラピーを学んできた場では、その内容や実践に興味のある人たちばかりでしたので、「資格ほしさに勉強する」「試験のために勉強する」人たちを見るのは初めてでした。

勉強会で私が内容を解説しようとすると、「理解している暇はない。とにかく覚えましょう」と解説を遮られることもありました。

受験参考書などは「無駄なく勉強」ということがアピールされ、受験者からも「試験に出ることだけ覚えたい」というような言葉もよく聞かれました。語呂合わせで言葉を丸暗記するのも流行っているようでした。

もともと私は学歴でカウンセラーを淘汰しようという大学ルート主義に反対ですが、それを免除された現任者ルートもなんだかあやしい感じがしました。「一夜漬けでも資格さえとればいい」「理論の意図や内容はどうでもいい」と割り切っている人たちをみると、大学ルートの人たちが眉をひそめるのもごもっともだなと思いました。

現任者ルートにも心理職に向いている人はたくさんいそうだとも思いました。でも、知識の暗記だけでいいのかいなとは思いました。

カウンセリングを受けたこともない、フォーカシングもマインドフルネスもCBTも自己洞察もしたことがない、自分の感情と思考の認識もできないというような人たち多いようです。少なくとも、このブログの読者層よりは心理実践の経験が少ない現任者が多いでしょう。

そして、もう一つ気になる点は、「心理学を学んで人を扱いたいけど、自己洞察はしたくない/できない」という人たちも少なからず含まれているということ。この種の人たちはプロ(?)にもよくいます[3]専門知識のあるカウンセラーは、不自然な自己開示でごまかす場合もある。が、下手に手法を学ぶと、「自分の盲腸が痛いから他人の腹を切りたがる」「自分の裸は見たくない。自分は絶対脱ぎたくない。だからこそ他人の裸は見たい」人になっちゃいますね。自分に向き合うことはゲロ吐くほどの試練ですが、それをせずに心理の国家資格を持つ人たちが数万人も量産されちゃってるわけです。

心理実践をしない/できないというのは個人の自由であり強制されるべきではありませんが、他者のそれをガイドする心理支援者がしない/できないと言っているのは不気味です。

勉強法

公認心理師試験は、心理セラピーのような積極技法や臨機応変な対応能力は殆ど出題されません。とはいえ、心理セラピストの私は現任者の中では有利でした。私は心理”学”があまり好きではないのですが、それでもプロ向けの研修を受けたり、講座を開催したりはしてきたので。

教育や福祉や司法については、その分野の方々にお話を聞きました。他分野のメンバーで勉強はできたのは良かったです。

私は答えを覚えるというよりも、ひとつひとつ意味を掘り下げて考察や情報収集をしていました。そもそも資格取得が目的ではなく、視野を広げて学ぶきっかけが目的だったので。

全ての過去問を最低3回解くのが標準的な試験勉強だそうですが、私は1回に時間がかかり、2回もできませんでした。

教科書通りにはいかないケースばかり扱ってきた私にとっては、事例を読むと想像が爆発して大変でした。直接に人を見ないで文章だけで判断をするなんて、心理セラピストとしてはどちらかというとタブーですから。

それでも、だんだんと出題者の意図がわかるようになり、出題する先生方もいろいろと考えてくれているんだなあと思えるようになりました。

私は資格制度には懸念をいだいていますが、最近の過去問は特定の勢力にさほど偏ってないようでした。善意のある先生たちも奮闘しているのだろうかと感じ、やはり講習会だけではなく受験もしておこうと思いました。

現任者に受験機会が与えられる特例は今年が最後でもありましたので、一発勝負です。

試験当日

試験会場は、ものすごい人数の受験者。公認心理師ロボットの製造工場。やはり臨床心理士さんたちとは空気が違う。ガツガツしているというか。

でもみんな黙っているので、私がいつものように「ニャンニャン」と鼻歌をつぶやくと目立ってしまいます。テンション上がらないように気をつけました。

ちょっと緊張してお気に入りの日笠をなくしかけて涙目になったりしながら、なんとか受験できました。

ベテランの大先生カウンセラーがマークシートを初めて見て「なあにこれ? 眼の検査でもするの?」と言ったそうですが、私はそこは大丈夫。

そして、試験問題は・・・

これまでとは出題傾向がガラリと変わり、これまでの全ての回で最高難度になりました。と、さっそくSNSで炎上していました。

試験中に諦めて寝ている人もいるようでした。

私も出題意図を改めて捉え直す必要があり、スイッチが入っていまい、翌日から体が痛い。


↑緊張してオーラがオトコになってる。

過去問とは異なる意外な出題が多かったこともありますが、言葉を暗記するだけでは解けない問題も多かったように思います。

教科書とは異なる言い回しで表現されていたりして、暗記しただけの知識が使えないように工夫されていました。

丸暗記しているとかえって間違えるような問題もありました。

「とにかく資格が欲しいんす。内容の理解はいいからとにかく暗記します」という言葉をなんども聞きましたが、そのような受験態度に対して、出題する先生たちはアンチテーゼを示したのかもしれません。

勉強仲間たちも私の助言「興味を持って意味を理解しろ」を試験中に思い出したそうです。

急に難易度が上がったと、怒っている人たちもいるようですが、冷静に振り返ると良い問題だったのかなと思います。

結果

まだ発表されていません。

速報による答合せでは189点(得点正答率83%≫合格基準60%)。推定で受験者の上位1~2%くらいなので、合格基準が微調整されたとしても落とされないと思います。

合格証だけ保持して資格登録は保留して未登録にしておきたい気持ちもあります。権威者たちに認められるための研鑽ではなくて、クライアントだけに認められていたいから。

「無資格者だ」と在野を否定する同業者たちは、私たちが資格を取っても「資格を取るべきではなかった」と言い方を変えて否定するだけでしょうし。

私はどのような心理職であるかはクライアントとつくってゆきたいので、行政や業界団体によって定義されたくないと思います。既に始まっている派閥争いにも参戦したくないですし。

登録しないと困るかどうか、もう少し調べます。

なかなか骨太な問題

実践にしか興味のない私でも、楽しめる試験でした。難しかったけど。

病院に連れてこられた幼児の外傷が虐待かもしれないケースについて。その親とどんな面接をするのがよいかという問題。これはマニュアルや過去問を暗記していてもダメで、どんな対応をしたら何が起きるかを全ての選択肢について推測できる必要があります。
被災者グループの参加者たちが発言を交わす場面が描かれていて、グループ・セラピーのどの要素が発生しているかが問われました。「カタルシス」「相互援助」「モデリング」がいまにも発生しそうな場面ですが、描かれている瞬間は「ユニバサリティ」です。単語を暗記するだけではなく、ファシリテーションで知識を活用するつもりで学んでいないと正解できません。
発達障害をもつ学生の代わりにカウンセラーが学校に合理的配慮を求めるのが適切か、本人に交渉させるのが適切かを問う問題。法律では合理的配慮は本人の申し出を前提とすることになっているので、その暗記知識を機械的に使うと「本人に交渉させる」と回答してしまいますが、法律の意味を理解していれば、本人の要望があれば代理であっても「本人からの申し出」になるであろうことが分かります。
SRRSについての問題。前回までの試験なら、SRRSが「失業、怪我、死別などのライフイベントのをストレス疾患のリスクの高い順に並べたリスト」であること、SRRSを誰が作ったのかを覚えていれば正解できました。今回の試験ではどのライフイベントが1番ストレスフルなのかという中身を問う問題でした。

ロボットのように「それは辛いですね」と声をかけるだけなら必要ない知識ですが、相談者の顔が思い浮かぶなら当然興味があるリストであり、私は強烈に中身を覚えていました。

「共感的理解」がロジャーズが論じる人格変容の必要十分条件かを問う問題。それは必要十分条件ではなく必要条件なので否。しかし「人格変容の必要十分条件」という言葉は有名なので、丸暗記していると逆の解答をしてしまいます。「効果があることが証明されていない」と「効果がないことが証明されている」の区別もできないような心理専門家も多いので、論理性も試したのだと思います。

「深めるのは試験が終わってから」と言って暗記していた現任者たちは、試験後に深める学びを始めているのか? …他の資格試験の準備を始めてる人が多いですね。(笑)

参考リンク

臨床心理士と公認心理師の方向性のちがい|ミヤガワRAIO- YouTube

公認心理師の会が専門公認心理師制度を発表しました!!|髙坂康雅の公認心理師チャンネル – YouTube

公認心理師運用基準への日本精神神経学会の見解について思うこと | ここらぼ心理相談

脚注[+]

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