約8割が世間に知られないと言われています(女性被害者の場合)。実は非常に多く発生している出来事だと思います。変な言い方で申し訳ありませんが、たくさんの仲間(声なきMeToo)がいると思ってよいでしょう。
※私たちトランスジェンダーや男性の場合はほぼ10割世間に知られません(事件として扱ってもらえないことが多いから)
※ショック反応がある方はこの先を無理して読まないようにご注意ください。
Kojunがやってないセラピー
某団体の資料によると、精神科医などでは認知行動療法、曝露法が提供されることが多いそうです。たとえば男性恐怖症になった場合、認知行動療法は「男性はすべて危険だ」という認知(自動反応的)を「すべての男性が危険なわけではない」と修正してゆくといったイメージです。曝露法は徐々に慣らして男性に近づいてゆくというようなイメージです。これらは社会復帰を目指すような浅層セラピーと言えるでしょう。反応や行動を変えてゆくものです。(参考:心理セラピー例「恐怖症」)
Kojunのやっているセラピー
私のところで扱う心理セラピーは、事件後にある程度年数が経過した心の傷を扱うことが多いです。(事件直後については、いくつかやることがあるので支援団体への相談を検討してください。参考:性暴力被害の相談)
精神的な自由を求めて行う深層セラピーです。そこでは「男性に近づけない」というような症状というよりも、その人の中の心の問題を扱います。症状をなおすことよりも、「わたし大丈夫」の核を得るためのセラピーです。
その出来事よりも自分の方が大きくなり、それを超えた人生が始まるイメージです。深層セラピーといえるでしょう。
たとえば、「なにぃ! そんなひどいことをするのはどこのどいつだっ!」と立ち上がってくれるはずの男性(場の責任者、仲間や家族、教員)が「大袈裟にしないでおくれ」「きみの勘違いじゃないのかい」「自分から誘ったんでしょ」などと言って目を背けたことが二次外傷として強く刺さっていることがよくあります。ほんとによくあります。それは圧倒的な絶望のように心をつぶしています。それを見つけたならば、味方になる人(この場合は男性が効果的)がいるというイメージを体験する方法がトラウマ克服の糸口になることがあります。
また、暴力を受けてしまった自分を許せないということが深く刺さっている人もいます。これは身を守るための防衛ともいえますが、それに気づいて自分を赦すというプロセスは下手な助言や共感が通用しない奥深いものです。これが心の傷の大切なところであったならば、セラピストがどれほど自分を赦しているか問われるものでもあり、他者が入ってはいけない心の部屋に他者が入ることで克服の糸口になることがあります。
これらに共通するのは置き去りにされた自分に会いに行くというものです。
この深層セラピーはセラピストの生き様や相性が重要になります。たとえばKojunの場合は、性別両性なのでわりと女性被害者が相談しやすく、かつ上述の怒りのイメージワークで男性の役もできます。また世間から「あるまじき者」として白い目でみられた経験と、逆に大切にされた経験を併せ持つため、他者が入ってはいけない心の部屋に招かれやすいことがあります。また、セラピストが「克服した人たち」を何人か知っているというのも大切です(克服した知人がいない人の多くは「克服できるはずがない」と思い込んでいます)。
どんな変化があるのか
これは例にすぎませんが、このようなことが起こります。
- なぜか自分がコソコソしてる ⇒ こそこそしなくなる(むしろ加害者がコソコソしてる感じがする)
- いい感じの異性が近づいてきても反射的に冷たくしてしまう ⇒ 反射的に拒まず楽しめる
- 強引な異性が近づいてきたときに、とっさにNoと言えない ⇒ 素早く拒むことができる(または寄せつけない)
※加害者が異性の場合
Kojunが感じる難しさ
性暴力被害のセラピーの難しさは相談者がそのテーマ(セラピーの目的)をなかなか明示されないことです。言いにくいんです。
別件をテーマとした相談でセラピストとの相性を様子見るというのは良いやりかただと思います。そこで、暗にほのめかしたり、余談としてそのエピソードを話されたりするときに、トラウマ反応が出ることがあります。これは、心の奥で「このセラピストを信用してもよいのではないか」と思ったときに起こります。
ですが、セラピストは「頼まれていないセラピーを本人の意思に反して施してはならない」という契約の原則があります。つまり、本人が望んでいないセラピーはしないわけです。暗にセラピーを望んでいたとしても、セラピストに何かしてもらうことに心の準備ができていない場合もあります。ですので「性暴力被害の心の傷を癒すセラピーをしてみます」と本人の意思を確認できていない、しかし暗黙に意思表示されている(言いにくいからほのめかしている)という状態では、その反応を抑えるのか、施術の機会とするのか判断が難しいのです。
セラピストではない支援者(福祉や教育の相談員など)の方には、そのような場合は現実の視覚や触覚を使って反応を抑えることをお勧めしています。ですが、セラピストの場合は相談者の真の目的がこの施術である場合もあるので、そのままセラピーする場合もあります。
できることは何でもやっちゃうセラピストもいますが、Kojunはデリケートな方を扱うことが多く、本人の意思確認に慎重な方です。
しかし、実際に事件に出くわしたときの私は意思確認などせずに介入してきましたので、その心をセッションにも取り入れてゆきたいと思っています。
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