白黒思考が問題解決を阻む
「この世は地獄だ」とか「あの人は最高、あいつは最低だ」とか「医者は全て信じられない」とか「金が全てだ」などは白黒思考と呼ばれ、あらゆる心や人間関係の不調を引き起こすと言われています。
たとえば、昔からウツになりやすい思考パターンとしても挙げられています。また、境界性パーソナリティ傾向の人にも似たような特徴があり、弁証法的や曖昧受容の練習が勧められることがあります。
しかし、トラウマやACEsを持つ人たち(アダルトチルドレンなど)のプロセスに立ち会っていると、白黒思考は直せばよいというわけではないように思うことがあります。
白黒思考の黒幕
たとえば、「医者は全て信じられない」という人に、「医者によるじゃない」「良いところも悪いところもあるかもよ」と考えてもらうのは、簡単である場合と、難しい場合があります。なぜ難しい場合があるのでしょうか。
もし仮にですが、自分ごととして想像してみると、「医者の言うことは全てきかなければならない」という圧力を受けると、部分的に拒絶できないので、「医師の信じれるときもある」というようなグレーゾーンな態度はとれなくなるでしょう。「医師を選んではいけない」というルールがあると、「よい医師もいる」という態度はとれなくなり、全否定するしかなくなるでしょう。
すなわち、白黒思考でしか自分を守れなくなるわけです。
「良いところも悪いところもある」と思えない人は、距離のとり方の自由がなくて、人単位で拒絶するしかないのかもしれません。
そうすると、「この世は地獄だ」という信念を手放しにくい人は、この世をまるごと拒絶するしか自分を逃がす方法がなかったのかもしれません。
「楽しいことも苦しいことある」と思えないのは、なにかを押しつけられているのかも。
環境が柔軟になる
白黒思考は本人の認知に原因があるとする見方ですが、もしかすると白黒思考は環境が強いていることもあるのかもしれません。
曖昧さへの受容が必要なのは社会かもしれません。
それが叶わぬ場合は、当人に必要なのは距離感を選べる人の存在かもしれません。
現在の認知はただその人を守っているだけの必要悪なのかも。
原因論を扱っても、原因を悪としない態度は、私が最初にマインドフルネスを学んだ茶道や禅語では「日々是好日」と似ています。