絶望を感じて、本当に前向きになる

あることについて最近やっと自分がこの世の中に絶望していることを感じるようになりました。

拗ねていることは以前からありましたが、そうではなくて、ちゃんと絶望を感じることができるようになってきたということです。

そのおかげで、困りごとはいろいろとあっても、ずいぶんと幸せを求めやすくなっています。

このプロセスを体験するのは、実は初めてではありません。

その絶望を感じることができるとき、「こうだったらよかったのになぁ」っていうのがやっとわかります。なんとなく諦めていた望みがが、ちょっぴり実現可能かもしれないということも見えてきます。実現しなくても、想像して楽しんだりできるようになり、似たような状況が実現しやすくなります。

多くの人は「絶望してはいけない」とアドバイスします。本人も絶望しないように頑張ります。だから、本当に望んでいる幸せがイメージできなくて、その機会を逃すのだと思います。

心理セラピーでは、「そのとき悲しかった」「あーもうだめだー」などの気持ちを否定するのではなく、大切に扱います。人を恨むためではなく、自分のために。絶望することと、前向きに生きることは矛盾しないのです。人の心は論理学のようなものではないからです。

上手くいかないケースでは、ちゃんと絶望を感じないで人を恨んでいたり、自分を虐めていたりします。それと、ここでいう絶望は違うものです。その違いをガイドするのは心理セラピストの仕事です。

そうして、囚われから開放されたり、幸せを見ることができたりします。

そうなると、ポジティブシンキングの実践とか、あんまり必要なくなります。ポジティブを心掛けている人たちではなく、ポジティブな人の仲間入りしてしまうからです。もはやネガティブを怖れる必要もないのです。

そして、もはや〇〇心理学とか、〇〇メソッドとかを信奉することはありません。セラピストが「〇〇心理学のおかげで幸せになりました。だから〇〇心理学を多くの人に伝えたいです」というのは、まだ本当には心が解放されていないのかもしれません。

多くの人は「絶望してはいけない」と頑なにアドバイスします。深い作業に立ち会う心理セラピストはその逆の作業を手伝うわけですから、世間から白い目でみられながら、その仕事をします。

「良いことを引き寄せるために、ポジティブに考えましょ」なんて言っている方が世間当たりはよいですが、人から好かれるために心理セラピストをしているわけではありません。

悲しみや絶望の果てに本当の幸せが知っている、人に好かれるためではない笑顔を知っている、そんな人だけが、そういう心理セラピストになるのだと思います。

そして、そんな風に幸せになりたい人が訪ねてくればよいと思います。多くの人は訪ねてはこないでしょう。それでよいと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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