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心理セラピーで過去を扱うことの、もう一つの説明

Kojun

心理セラピーで過去を扱うことについて、以前はよく「未来を変えるために、過去を扱うんだよ」と説明していました。

親を恨むとか、出生を呪うとか、過去に囚われるためではないということ。

そして、過去に対する感情を扱えた人は、未来へ向けた再決断などができます。目的と手段の関係なんだよって説明です。

それはそうなんですが、最近は、もう一つの表現で説明をするようになってきました。

それは、過去のエピソードを語っていても、それは今や未来のことを語っているということ。

過去のことを語っているクライアントは、なぜ今ここでそのことを語るのか? 心理セラピストKojunはそこを観ています。そこを聴いています。

なんでそれを言いたくなるのかを感じながら聴いている、と言えば分かり易いでしょうか。

言葉が表している出来事ではなくて、それを発しているクライアントの存在を観るわけです。

そうすると、クライアントが発しているのは未来だということが分かります。

親を恨むために過去の出来事を語る人は、親を恨むという未来を表現しているのです。そのようなケースが、過去を扱うことを否定する意見の根拠なのでしょう。でも、そのようなケースの過去の語りでも、それは未来を表しているわけです。

しかし、多くのクライアントは、親を恨むために過去の出来事を語っているわけではありません。被害者として生きていきたい人は心理セラピーの料金は払いませんので。

おそらく、過去を扱うことを否定する専門家は、未来のために過去を語るクライアントの姿を見たことがないのでしょう。

それはインターネットが普及する前から言われていた「来るべきクライアントが来る」という心理セラピー界の言い伝えを思わせます。

普段は未来を消していますが、過去を語るとき、未来を発しています。

過去の語りと、未来の照らしは、表裏一体となってセッション中に進んでいます。

※当サイトの記事には独自の意見や枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものでもありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。
※当サイトの事例は原則として複数の情報を参考に一般化/再構成した仮想事例です。

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