ネイティブセラピストの特徴に当事者視点があります。それは支援者都合の支援、社会都合の支援 へのアンチテーゼでもあります。
社会都合の支援は「ありのまま」をゆるさない
社会都合の支援とは、たとえば就労させることを目的とした自立支援福祉サービスなどです。
支援者都合の支援というのは、症状を消す目的だけの心理療法などです。
心の問題が背景にある場合、そこではありのままの自分を受け入れることが許されず、心のプロセスが進みません。
せいぜい「責めずに、受容的態度をとる」というような心理面接テクニックが職員に教育されているに過ぎません。
目的が社会復帰や正すことである限り、上手くいかないというのは元当事者たちにはよく知られています。
ただし、人の苦境には経済的な問題がつきものです。そこは福祉の力が必要。
ですが、福祉や行政は社会や支援者の都合でしか動きません。
※少し変わってきているという話も聞きます。
*正そうとするから変わらない
支援者は当事者から拒否されることがよくあります。そのときに、支援者や医療者は正しく、当事者は欠陥のある間違った人間であるという枠組みが、回復を妨げることを当事者は体験することがあります。
「本人の意思や意見を聞いてくれれば、もっと早く回復できたのに」とサバイバーたちは言います。
しかし、支援者はどうしても、判断を押しつけます。
「正す」ことの問題は、正しさを本人以外の人が決めているということでしょう。
それが支援者都合です。
必要なのは「回復する自由」
当事者視点か支援者都合かということについては、私はある命題を試金石にします。あえて過激な表現をしてみるとのですが。
「当事者は不幸を選ぶ権利もある」
これを認めるか、認めないかを議論してみると、その支援者が当事者視点かどうか垣間見えるように思います。
この命題を聞いて頭ごなしにけしからんと言う人は、この命題と別の命題「当事者は不幸になればよい」との区別がつかないのだと思います。
それは「回復してもよい」と「回復しなければならない」の違いです。ある当事者たちに必要なのは「回復してもよい」です。
不幸になる自由と回復する自由は隣り合わせ。
誰が運転席に座るかということですね。
リハビリスタッフからの相談例
身体機能や神経に関する作業療法士、理学療法士の方々から、リハビリを拒む患者がいるというお悩みを聞きます。
そこで相談されるのは「どうしたら患者さんが言うことを聞きてくれるでしょうか」というもの。質問を「どうしたら患者さんを理解できるでしょうか」に変えてみることを提案します。
患者に回復しない権利があると認めてみると、なぜ回復を目指さないのかその理由に強い関心がおきるはずです。
認めなければ、どうやって患者にリハビリさせるかという発想になるでしょう。
「無理強いしない」だけでも裁きになる
回復することと、回復させられることの違い。
それらの区別がつかないとき、支援者都合の支援となるわけです。
「ほっといてくれ」と言われてほっておくこととも違います。放置することは裁くことは似ています。
ほっておかないというのは、なかなかむす難しいことなのですが、上述の「当事者には権利がある」とは区別します。
不幸になる権利を奪うことで回復させるのではない、不幸になる以外の選択肢を提供するわけです。
それは既にその人は最善を尽くしていると認めることでもあったりします。
深層心理のセラピーをしていると、その不幸はなにかを守っていたということもよくあります。
また、この話は矛盾に満ちた話でもあります。ですので、べき論として理解してもよくありません。
「不幸になってほしくない」と「不幸になってはいけない」の違いが、支援者の特性を大きく別けるのだと思います。
参考
- 山吹健司「「ひきこもり」に対する支援の方法を探る―生活困窮者自立支援制度では他機関と連携する前段階においてどのような関りが必要か―」社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020)