過去を扱う心理セラピーの心得について。
過去を扱う心理セラピーと、原因論はちょっと違います。
原体験のストーリーは原因ではありません。
原体験とは
たとえば、目上の男性や警察官などに不必要に反抗的な反応パターンで苦しんでいる人の心理セラピーで、父親が母親を殴っているのを見ていた幼少体験を思い出し、そのときの感情の縺れを扱って、悩みが解決する(反応をパターンが出なくなる)ことがあります。
この場合、父が母を殴るという幼少体験が原体験。現在の反応パターンが主訴反応(悩みの現象)です。
この原体験と主訴反応は因果関係のように聞こえますが、実は違います。
「父親が母親を殴っているのを見て育った人が、目上の男性や警察官などに不必要な反抗的な反応で苦しむことがあります」と因果論的に説明することはよくあります。それは脳機能疾患などではなく心因性の問題であるということを分かりやすくするためです。説明は正確さよりも目的が優先されます。
心理セラピーの現場感覚で言うと、原体験は主訴反応の因果というよりは、主訴反応を解消する過程で浮かび上がる副産物のようです。
「原体験が原因として見つかりましたので、原体験を取り除きましょう」としているのではありません。
原体験と主訴反応に因果関係があったとしても、過去の出来事を消すことは出来ません。
細かいことを言うと、原体験と主訴反応に因果関係がなかったとしても、効果がある場合もあるようです。
原体験は犯人というよりは参考人です。
そこから置き去りにされた自分、カギとなる感情などが救済されればよいのです。
多くの場合は、
原体験は副産物のようなもの
その人の心の縺れをといてゆくと、副産物として原体験が浮かびあがるのです。
原体験して、それを解くのではない。
原体験を見ることは希望の光
原因ではなく希望の光を探してるとも言えます。原体験を探すということは、その悩みは生まれつきではなく、その悩みを持つ前のその人がいたということです。
それを見つけることは希望です。その子を救いに行けるからです。もちろん、タイムマシンで過去を変えるわけではありませんが、その子を存在させることはできます。実際に存在したのですから。