いわゆるLGBTQ、同性愛や性別違和(身体と心の性が一致しない)の原因として、なんらかのトラウマ・心の傷によるものではないかという考察は昔からされてきました。現在ではそういうものが原因であることは立証されていないという説が主流かと思います。それは、「治したほうがよいもの/治せるもの」なのか「それはそれで本来のもの」なのかどうかということに関係してきます。
一般的な専門知識の視点からすると
例えば、こんなケースがあります。女性が性的な乱暴を受けたことがきっかけで、女らしくすることへの抵抗が刷り込まれる。専門的には《女であってはいけない》禁止令と言います。もしくは、男性が苦手になり、女性に魅力を感じるようになる。これは、外的な要因によって条件反射が刷り込まれているので、セラピーなどで回復が可能です。回復することで、自由、幸せになることが期待されます。
一方で、セラピー界では、性的指向や性自認を変えようとしても、変わらない、もしくは幸せにならない、ということも経験的に知られています。診断マニュアルから同性愛や性別違和が疾患扱いされなくなってきた経緯をみると、医療界の方でも同様なのでしょう。
そこで、専門家としては次のように考えたくなります。
「先天的の場合は、それは無理に変えようとしてもうまくいかない。後天的な場合は、回復が可能である」と。
多くの心理専門家はそんな風に思うのではないでしょうか。まあ、概ねそうかもしれません。しかし、はたして、そうなのでしょうか?
当事者との交流を通じて思うこと
私は、当事者の端くれとして、当事者と接触してきました。
実際に、ゲイ(同性愛者)、トランスジェンダー(性別越境者)の当事者とお話をしてみると、後天的な原因かもしれない出来事・体験は、「思い当たる」と言う人がままいるのです。といいますか、そのような意図で原体験探しをすると、何かそれらしきことが見つかってしまうわけです。
しかしながら、それらの人が、性的指向や性自認を変えて幸せになる様子はありません。そのままで苦しんでいる様でもありません(社会との関係で苦しむことはあります)。
そもそも、その性的指向や性自認そのものに苦しみの感覚がないので、そこにつながる原体験をちゃんとしたセラピーの一部として探すことはできないのです。感覚ではなく、頭で考えると、上述のように、思い当たる何かが見つかるわけですが。
ですので、私の実感としては、回復・変更を試みることがよいのかどうかは、先天的か後天的かはあまり関係ないように思えます。
そして、考えてしまうことは、「男らしく/女らしくしなければならない」とか「雄の身体だから男性である」といったことが、実はビリーフ(深層心理の思い込み)なのではないかと。そのビリーフを持つ者があまりに多数なので、それが普通と思われているだけなのではないかと。すると、先天的にでも後天的にでも、そのビリーフが解消してしまった者は、回復治療によって変わることはないと。
つまり、後天的だったとしても、それがビリーフ解消の結果なのか、ビリーフ刷り込みの結果なのか、という観点になるのかと思います。
その体験が辛いものだったとしても、悪い結果を得たとは限りません。
ネガティブな経験でも、ネガティブな影響とは限りません。
そして、セラピストが一番関心をもつのは、もちろん、本人がどうなりたいかです。
性(ジェンダーやセクシャリティ)の非典型がセラピーの対象となりうるかは、苦しんでいるかによります。そして、その苦しみが、内なる苦しみ(本当の自分ではない)なのか、社会との関係からの苦しみ(差別を受けるなど)なのかがポイントになるでしょう。
かつて治療と称して行われた拷問まがいのことは、回復プロセスを促すものではなく、刷り込み、トラウマを生じさせる内容でした。たとえば、ゲイ男性に男性ヌードを見せながら電気ショックを与えるなどです。それらは、コンバージョンセラピーと呼ばれたりします。
電気ショックを与えて治療しようとした側に、問題となるビリーフがあった。そして、それは現代の多くの人にもある。そんな視点も浮かび上がります。
そのことを考えても、多様性の受け入れは、社会全体のセラピー(解放)なのではないかと思います。