現在家族のコミュニケーション問題

現在進行形の家族の問題は、Kojunのところでは主テーマとしてあまり扱わないですが、それでもよくある家族のコミュニケーション問題について、入門的な視点を書いておきます。

円環的悪循環を扱う必要があるかどうか

家族の問題はコミュニケーションのやりとりが、相互に影響して問題を悪化、または維持している場合が多いと言われています。

敵は相手(家族の誰か)ではなく円環的悪循環かもしれないということです。相手は円環的悪循環と闘う仲間かもしれないのです。

このようはアプローチを取り入れることが有効であるかを考えてみましょう。この記事はそれが有効な場合について書いてみます。

※円環的悪循環を扱えるカウンセリングは家族療法、家族カウンセリングという分野になります。そのようなカウンセラーを探してみるのもよいかと思います。ここではご自身で出来ることのヒントを書きます。

例外

たとえば、一方的にDVを受けているというような場合は、別のアプローチを急いだほうがよいでしょう。

また、若い子どもが自立しかけているタイミングの親子の場合も、別のアプローチがよいかもしれません。子は親の成長を待っていられないからです。

自身にカサンドラ症候群が疑われる場合もちょっと難しいかもしれません。

視点

パンクチュエーション

家族との関係でお悩みなら、パンクチュエーションという概念は知っておいて損はないでしょう。

(1)妻「あなたはいつも無視するんだね」

(2)夫「無視してないだろ!」

(3)妻「あなた怒鳴ってばかりね」

夫は(1)〜(2)を切り取りとって、「決めつけられたから反論したのだ」と訴えます。

妻は(2)〜(3)を切り取って、「怒鳴られたから指摘したのだ」と訴えます。

このように動画編集でどこからどこまで切り取るかというのをパンクチュエーションと言います。

家族メンバーはお互いに異なるパンクチュエーションを見ていて、相手に問題の原因があり、自分は正当防衛だと認識する傾向があります。

家族メンバーとの円環的悪循環について、このパンクチュエーションという視点を持つことは多くの場合に入門となるでしょう。

何ができるかというと、自分のパンクチュエーションを自覚、そして相手のパンクチュエーションの想像です。

「相手が○○したから私は××したのだ」というパンクチュエーションに気づいて、「なぜ相手は○○せざるを得ないのか」を理解しようとする

となります。

上述の例の妻ができることは、妻は自分の(1)に無自覚ですので、妻はそこを自覚することと、それを言われて夫が怒るのはなぜか(性格が悪いからではなく、彼をそうさせる文脈)を考えます。

一方で、上述の例の夫ができることは、妻が「いつも無視するんだね」と言いたくなる背景を考えます。

※あなたが妻なら「妻ができること」の部分を検討してください。「夫ができること」の部分を夫にやらせようとするのはあなたの対策ではありません。相手に宿題をやらせるのではなく、自分の宿題をやります。

彼の性格ではなく、彼をそうさせる文脈に理由を求める視点は、彼の望みを理解することへと繋がります。ナラティヴ・セラピーの「志向的状態理解」という概念も役立ちます。

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認知バイアスの基礎知識

「自分の問題言動は環境のせい。相手の問題言動は性格のせい」

人はこのように捉える性質があります。それは、対応バイアスとか、基本的帰属エラーと呼ばれます。

これはダメな人間の特徴ではなくて、誰もが持つ人間の性(さが)、しかたないものです。

これを知ることで、次のように考えることができます。大変ですけど。

「自分の問題言動が環境のせいであり、それを相手が性格のせいだと言うのであれば、性格のせいのように思える相手の問題言動も環境のせいかもしれない」

他にも知っておいたほうがよい認知バイアスとしては、「貢献度の過大視」(自分の貢献は大きめに感じる)、「ナイーブ・シニシズム」(相手は「貢献度の過大視」をしているだろうということを大きめに推測する)があります。

自分たちを支配している痛みを知る

「あの人はこうだね」と相手の性質をとやかく言いたくなりますが、まずは「あの人が何をしたか」に目を向けます。

そして次に、それをさせた痛み、された痛みを目を向けます。

つまり、悪循環を支配しているのは、あの人の性格というよりは、双方の痛みであるとの見方です。

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相手はあなたが思う以上に傷つきやすい

次にお勧めの視点は、相手はあなたが思っている以上に傷つきやすいという想像力です。

「相手も傷つくから反撃してくるのだ」という理解よりも、その前提である「傷つきやすい」と捉える方がヒントになります。

防衛機制「取り入れ」を自覚する

同じような言動をお互いにしているとしたら、防衛機制の「取り入れ」かもしれません。

たとえば、お互いに怒鳴っているとか、お互いに不機嫌なときは返事しないとかです。

この防衛機制の「取り入れ」を自覚することも役に立つでしょう。

 
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防衛機制の「取り入れ」は、憧れの人の真似をすることなどと説明されることが多いですが、ここでは自分を傷つける相手の発するものを取り入れる「取り入れ」のこととします。

たとえば、家で暴力をうけている少年が学校で暴力をふるうみたいなことです。モデル学習と説明される場合もありますが、解決方法として暴力を学んだというよりは、加害者になることで被害者である自分を守ろうとしているとしたら防衛機制に近いように思います。

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家族関係においては、怒鳴られたから怒鳴り返すみたいなことが挙げられます。

やられた側の気持ちを分かってもらおうとしてやり返す場合もありますが、やる側になることで気持ちが一時的に少し楽になるみたいなのがここでいう「取り入れ」です。目の前に家族がいないときに怒鳴るとしたら、それは「取り入れ」かもしれません。

「取り入れ」を自覚するというのは、それをしている自分を責めようという意味ではなく、そのメリットとデメリットを考えるということです。

メリットは一時的に楽になるということです。それによって、もっと悪い行動を防いでいるのかもしれません。デメリットというのは、円環的悪循環を促進してしまうということでしょう。

怒鳴られた相手は、自分も怒鳴っているから理解してくれるというわけではありません。

相手の「取り入れ」に気づくことも必要です。それは自分がもともと持っていたものかもしれないのです。怒鳴っているのは、自分が怒鳴っていることの取り入れかもしれないわけです。

だとすれば、自分の怒鳴る行動は何に置き換えられるかと考えることができます。難しいですけど。

対処法

相手の言動を変えてもらうか、自分が受け流すか、自分の言動を変えるか。

相手を変えようとする

この世には、相手を変える方法のアドバイスと、相手を変えようとしてはいけないというアドバイスが多いです。

問題が長引いているのであれば、相手を変えようとしても上手くいかないという示唆かもしれません。

しかし、どうであれ、丁寧に言えば、自分が相手を変えようとしているという自覚から始まります。

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この引用のようによくまとまった枠組みでも、相手を責めることの良し悪し以前に、その選択肢があること、自分がその選択をしているかもしれないという視点を持つことを重視しているように思います。

リクエスト

相手の言動を変えるにはそのリクエスト(依頼、お願い)をすることになります。そのためには自分が何を望んでいるのかを捉える必要があります。そして、それは自分の(自分にとっての)問題である(つまり言わなきゃ伝わらない)と自覚して、罰を与えるのでなくお願いします。

怒る(責める)ことについて

※ここでは怒りをしいてに相手に向けて対して表すことについて書きます。他のKojunの記事(とくに感情マスタリーのブログ)で書いている、個人内のワークとして扱う怒りの解放のことは区別してください。

場合によっては毅然と怒ることが必要な場合もあるかもしれませんが、それは自覚のもとに行う必要がありますし、それこそが円環的悪循環を維持していないかよくよく検討が求められます。自分が攻撃によって相手を変えようとしているという自覚です。怒らされたいるのではなく、怒っているでなければ、それがよい選択なのかいつまでも判断できません。

機能主義(その選択が有効であるかどうか)で考えるなら、攻撃や責めは相手の反発や敵意を強めることは多いでしょう。また、怒らないことで相手の不遜が強まっている場合には怒りの表現は必要かもしれません。

さらに攻撃することのリスクを付け加えますと、もし攻撃(とくに防衛的ではなく懲罰的な)によって相手を変えることに成功してしまった場合、あなたには攻撃で関係を解決しようするという厄介な癖が強化される可能性が強いということに注意してください。

受け流し

自分を大切にする受け流し

受け流すには、マインドフルネスは役に立ちます。即座に反応せず立ち止まる練習です。

受け流すには、フォーカシングも役に立ちます。これは相手からのストロークを受けてからあなたが反撃に転じる前の段階で、自身がなにを感じているのかを自分に尋ねるようにします。

相手を大切にする受け流し

また、相手側のパンクチュエーション(相手が見ている世界)をじっくり想像してみるのもよいかもしれません。

対称の反対は相互感謝

「自分はしてるなに相手はしない」「自分はしないのに相手はする」ということに腹を立てたり、「相手がするから自分もする」「相手がしないから自分もしたくない」という対称性は

高齢者とその子供であれば、年齢という非対称があります。夫婦にも性差や能力の非対称があります。

役割も対称にこだわると問題が拡大することがあります。

簡単に言うと、身体の不自由な人と健常な人ではゴミ出しの回数は同じでなくてよい、みたいはことです。

ただこれを相手を非難するための理屈に使うなら問題は悪化するでしょう。「そうだ、言ってやろう」と思ったなら、それは真逆の実践です。

そもそもこの記事を読んでいる目的が相手を非難するなめなら、この項目は時期尚早だと思います。

それは何にどんな痛みがあるかが自分と相手で異なること、違いに気づく能力が役に立ちます。自他の痛みとその違いを理解します。

代替行動

自分の言動を変えるには、次項の代替行動の考え方が役立つかもしれません。

リクエストも代替行動ですね。

円環的悪循環の一部をなしている自分の行動を止めようとしても、なかなか難しい場合があります。

その場合は行動を別の行動に置き換えることを考えるとよいかと思います。「怒鳴る」の場合では、怒鳴ることによって何を得ているかを考えます。

怒鳴ることによってスッキリしているのであれば、スッキリするための無害な別の行動を採用します。

怒鳴ることによって相手を黙らせているのであれば、相手の声を一時的に訊かない別の行動を採用します。それはそれで別の問題を起こすかもしれませんが、マシな行動があるかもしれません。

簡単なところでは、受け流しと代替行動のハイブリッドですが、「笑う」というのがあります。上の例では、「あなた怒鳴ってばかりね」を「また怒ってるし(笑)」のように。

よい例外を見逃さない

ソリューションフォーカストアプローチでは、円環的悪循環についての例外を見つけて拡大する(増やす)ことが提案されています。

しかし、これには2つの力が必要であるように思います。

ひとつは、良い例外が起きたことに気づく能力です。「嫌なことが起きなかった」というイベントは感知しにくいです。また、なにが良かったのか推測する必要があります。

もう一つは、それを繰り返し増やしていく勇気というかモチベーションです。思いやりのある言葉や感謝の言葉などをこれまで控えていたのであれば、そうなってしまう理由があるのでしょう。それを癒やすとともに、自分のモチベーションをはっきりさせる必要があります。

たとえば、この悪循環をあと一年間も続けたいかと自分に問うことになります。

また、見逃さないとは書きましたが、繰り返せないなら他の例外を扱ってもよいでしょう。一つでも拡大できる例外があれば、変化は起こりますから。

喧嘩はあって当たり前

仲のよいご家族に、喧嘩はないのかと尋ねてみましょう。

喧嘩は健全な家族の必要機能なのかもしれません。

喧嘩ゼロを目指すのもよくないかもです。

悪循環になっているのか、単発の喧嘩として完了しているのか問うことになります。

アドラーは「対人関係のカードは自分が握っている」と言います。

参考

※当サイトの記事には独自の意見や枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものでもありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。
※プライバシー保護優先のため、当サイトの事例は原則として複数の情報を参考に一般化/再構成した仮想事例です。

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