私が「怖れ」と呼んでいるものは、人が自分のネガティブ感情をないものとしようとする心理現象のことです。心理学では「抑圧」といいます。ファンタジーでは「闇」と表現されることもあります。
ネガティブ感情の分かり易い例としては恐怖・不安があります。人が自分の恐怖・不安をないものとする、「こわくないもん」というのが怖れです。
恐怖・不安を「第一のおそれ」、怖れ(抑圧)を「第二のおそれ」と呼ぶのも分かり易いかもしれません。
怖れが生じると、それを正当化するための思考が発生します。
墓地を歩くことを避けるとき、「こわくないもん」という怖れがあると、「ラーメンを食べたいから寄り道をするのだ」という、いわゆる言い訳が生じたりします。それが代理思考(ラケット思考)です。
英語が苦手である劣等感(一種の恐怖・不安)を抑圧すると、「そのうち機械翻訳が進化するから、英語なんてできなくてよくなるのさ」と言いたくなります。これが代理思考(ラケット思考)です。
ラーメンを食べたくなる例の場合、本当は食べたくないラーメンを食べてしまうという悪影響があります。といいますとバカバカしいようですが、実際に人はこれと似たようなことを結構しているのです。欲しくないものを買ったり、行きたくない場所に行ったりしているのです。
機械翻訳が進化するから英語力は不要ということについては、その思考が正しい命題であるかもしれませんが、それでもそれは代理思考なのです。代理思考に操られている人はよく「だって本当ですもの」と言います。本当かどうかは問題ではなく、それが怖れから生じている思考だということが悪影響を及ぼすのです。
代理思考でなく単に「英語力は不要になる」と予測しているだけなら、英語を勉強している人の邪魔はしませんが、怖れから代理思考が生じている場合には「英語の勉強をするやつらはバカだ」などとまで言い出します。
思考が命題として正しいかどうかではなくて、その思考が怖れ(抑圧)からきているのか、そうではないのかによって行動が全く異なってくるのです。