人を裁きたくなるとき、自分の苦しみが隠れている

「人が間違っている。人が悪である。人が未熟だ」とジャッジするとき、裁くとき、人を変えたいという気持ちが隠れています。

そのとき、「人が行動を改めてくれたら、人が考えを変えてくれたら、人が変わってくれたら、自分の苦痛が和らぐ」という、苦痛が隠れています。

「あなたは間違っている(変わるべきだ)」と言うか、

「私はあなたに変わってほしい」と自覚するか、

「私は苦しい」と自覚するか。

世の通念では、苦しみを隠すのが良いこととされます。

何度も言いますが、この隠す力が闇です。何度も言いますが、苦しみが闇なのではありません。

このことは、人生のある日を迎えるまで、見えない(たとえ説明されても理解できないか、記憶からすぐ消える)仕組みになっています。闇は闇を隠します。それが闇だと分かれば闇が消えてしまうので。

自分の闇が消えるほど、自分の闇が見えるようになります。

なくなるほど、現れます。

「闇」もまた必要と思える日を迎えると、仕組みが変わります。

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