「なんとかなる」と「もうだめだ」はそう仲悪くない – サバイバーにとってのレジリエンス

「レジリエンス」という言葉があります、困難に対して柔軟に対処する能力というような意味です。折れにくさですが、びくともしないということではない。最近また対人支援の世界ではよく聞くようになりました。

これはサバイバーの目指すところでもあり、確かにクライアントが回復すると「ちょっとやそっとのことでは凹まなくなりました」などと言います。

ですが、私が出会ってきたサバイバーやクライアントから「レジリエンスを高めたい」とか「レジリエンスが高まってきました」という言葉を聞いたことはありません。むしろ嫌う人が多いように思います。

支援者に好まれるレジリエンス

レジリエンスという言葉が以前流行ったときは、ストレスに負けない従業員や部下が欲しいという使用者のニーズ、あるいは頑張りたいビジネスマンの関心だったように思います。ストレス対処能力、サポート環境みたいな意味合いでした。その後、子どもの教育、養育などでも使われている言葉です。

支援者から対象者を見ると、健全な人と不健全な人の差はレジリエンスであることが発見されます。だから、レジリエンスを高めましょうという話になります。そしてそれが出来れば、支援者としては役に立てたと感じることができます。ですので、支援者や育成者の関心をひくのだろうと思います。

そこには、問題を特定して、それを直すという発想が見え隠れします。一方で、直す発想が通用しないと打ちのめされてきたのがトラウマ・サバイバーだったりもします。

サバイバーに聞こえるレジリエンス

一方で当事者(ここではとくに逆境育ち、トラウマなどのサバイバー)にとっては、「強くなれ」と言われているような感じがします。「強さではなく、しなやかさだ」と言われても、「騙されねーぞ」ってなったりします。もちろん人に依りますが、そんな人もいるということです。

これはレジリエンスの定義や説明が、他者、支援者から見えることで示されているからだろうと思います。「こうなりたいな」ではなく「こうなってほしいな」という概念なのかもしれません。

「感情調整ができること」がレジリエンスだとすると、感情調整が上手く出来ないとか、それを習得する過程で味わう様々な葛藤、そんなんで根本解決しないのではないかという不安の置き場がありません。

「なんとかなると思えること」がレジリエンスだとすると、「もうだめだ」という気持ちの置き場がありません。

健全なレジリエンスを持っている人には「困難があってもなんとかやっていける」という体験があって、「彼らもそうなればいいのに」と思うでしょう。しかし、当事者からすると「私だって、困難があっても気持ちを切り替えたりして、なんとかやってきた。それと何が違うのか」となります。むしろ当事者の方が柔軟性や対処技術は多く持っていたりします。

当事者体験としてのレジリエンス

では、他者都合ではなく、本人都合のレジリエンスがあるとしたら、どのようなものでしょうか。それには、「レジリエンスが高まった状態は(本人にとって)こんな感じ」ということがサバイバー体験として語られる必要があります。

それに近いもとのしては、「困難があっても、なんとかできるという自信」などがあります。それは本人の内面を語っていますが、支援者(相談員や養育者)にとって都合のよい部分のみを語っています。

サバイバーはそんなこと言われる前から「なんとかできる」と自分に言い聞かせて生きてきました。それと何が違うのでしょうか。言い聞かせなくても「思える」ってどういうことでしょうか? 対外的にレジリエンスを示すことではなくてです。

レジリエンスという言葉は、圧力強度試験のように他者から自分が測定される感じがしますが、そうではなく自分の中の何を測定すればいいのでしょうか?

「なんとかできる」と思えない状態から「なんとかできる」と思える状態への変化には、様々な体験が含まれます。弾力性だけではありません。「もうだめだ」という気持ちすらも上手く使いこなす必要があるかもしれません。「もうだめだ―」と倒れた状態で、疑似的な死と再生を通り抜けるなんてこともあります。折れてしまっている部分に意識を向けて、そこは守るのかもしれません。

逃げることや、傷つくこと、負けることなども必要な体験だったりします。そんなとき、「それでも大丈夫」と思わないといけないとしたら恐ろしいことです。そんなときに「大丈夫じゃねーよ!」をどう扱うかの方が当事者にとっては大問題だったりします。

たしかにサバイバーの回復は「傷つかなくなること」ではなくて「傷ついても大丈夫になること」だったりします。しかし、そうなるべしと言う前に扱うべきことがたくさんあります。

「自信のなさ」「助けを求めるのが下手」「絶望感」のようなものはレジリエンスが低さとして評価されますが、それらを手放すべしというアプローチがレジリエンスを高めるとは限りません。

心のサバイバーの場合は、立ち上がる自分を手に入れるとき、立ち上がれなかった自分を置き去りにはできないのです。

当事者都合のレジリエンス、サバイバーが拠り所とできる概念としてのレジリエンスというのはあまり語られていないように思います。

「もうだめだ」体験も大切にしながら、同時に密かに「なんとかなる」と思っているみたいな中途半端な状態を未達成状態として見るのではなく、大切な過程、時期として見ることが回復なのだと思います。潰れながら潰れない、レジリエンスという言葉を使うのであれば、「なんとかなる」と「もうだめだ」を共存させることがサバイバーにとってのレジリエンス体験なのではないかと思います。

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