心理セラピストに、なんとかしてほしいけど、余計なお節介は困る

心理支援の探し方について、記事タイトルの観点で俯瞰してみたいと思います。そして、私の心理セラピーではどんなふうにしているかも書いてみようと思います。

フルディレクションとノンディレクション

まずは、両極のスタイルをみてみましょう。

フルディレクション(ゆるぎない指示)

これは、プロセスの正解を知っている(と思い込んでいる)講師などが、クライアントに指示してゆくやりかたですね。心理プロセスを取り入れた自己啓発セミナーなどで、追い詰めてゆくようなやつですね。「自己開示」とか「殻を破れ」というような言葉がよく使われます。

緊急事態にも必要かもしれません。雪山で遭難したときに、「寝るな―!」とビンタするみたいなイメージですね。

ノンディレクション(指示しない主義)

こちらは、まったく指示しないという方針。

共感して、理解して(理解しようとして)聴くのであれば、これも良いスタイルのひとつです。いわゆる傾聴アプローチですね。切羽詰まっている状態の人にはこれが必要だったりします。

苦しいけど、いじられたくない、わかったようなことを言われたくない、アドバイスは求めていない。そんな状態では、これが重要です。傾聴ニーズと呼びます。

心理支援者の探し方としては、ご自身に傾聴ニーズがあるかを知っておこう、ということになります。

ノンディレクションの良くない例としては、ひたすら頷いて相槌をうつだけという不気味なカウンセリング・スタイルが昔はよく教えられていたようです。中高年の方は体験したことあるのではないでしょうか。来談者中心療法の勘違いしたみたいやつです。

ご自身に傾聴ニーズがある場合、理解力や共感力をもった心理支援者を探すとよいでしょう。セッション中にそうでないとわかったら、調整を頼んでみるのもよいかもしれません。スタイルを切り替えることができるカウンセラーもいます。

 
ちなみに、指示はしないけど質問はするというスタイルもあります。変化を促すための質問ならディレクションに近くて、理解・共感するための質問なら傾聴カウンセリングに近いように思います。

問題はなにか?

自己啓発セミナーに行くか、傾聴カウンセリングに行くか、みたいな感じですね。

自己啓発セミナーで上手くいかない人たちがいます。「殻を破れない」「強いブレーキがある」というレッテルを貼られます。

また、傾聴カウンセリングでは変われない、解決しないという人たちもいます。

どちらでも上手くいかない場合は、心理的な抵抗というのが潜んでいます。自分の心を変容させたいのですが、そのためには抵抗のあることに向き合う必要があるわけす。

それは簡単に言うと「私はなにを怖れているのか?」に正直に答えることだったり、目を逸らした何かを思い出すことだったりします。

「行きたいけど、行きたくない」という葛藤をワークする必要があるわけです。

心理支援を探すときに慎重になるのは、こういうことではないでしょうか。フルディレクションなお節介だと、痛い、恐い。聴いてもらうだけのノンディレクションでは変われない。

その葛藤をしなくていいよと言うのが、オマジナイやお気軽心理セミナーみたいなサービスで、とても人気があります。

さて、葛藤をワークする必要があって、それを決意したあなたは、どのような支援を探せばよいのでしょうか?

あなたが欲しいディレクションは何か

心理セラピーや、変容を促がすカウンセリングなどでは、適度なディレクションが行われます。

これは「適切介入」とか「クライアントの半歩後ろをあるくセラピスト」と言われたりもします。

ガイドはするけど、ハンドルは奪わないといった感じでしょうか。

これは、「押しの弱いフルディレクション」や「中途半端なノンディレクション」となにが違うのでしょうか?

Kojunは契約と生き様ではなかと思います。

望みを伝える – 契約

「この悩みをを解決したい、こういう変化を望んでいる。そのための心理支援者として、あなたを選びました」「はい、引き受けます」というクライアントとセラピストの合意のことを専門用語で契約といいます。(紙の契約書を作成するという意味ではありません)

支援者が説明して同意を求める医療界のインフォームドコンセントと似ていますが、心理セラピーの契約は相談者が望みを明らかにすることが中心となります。

心理支援の場合は、セラピストは頼まれたテーマだけ扱うよということで、ディレクションの暴力性を軽減するわけです。

心理支援者の探し方としては、クライアントの目的や要望を聴いてくれるかどうか、という観点になります。

「余計なことを言わずに、とにかく聴いてください」というのも契約になります。ですが、それは介入がないので、契約がない段階でも心理支援者の判断で関わることができるのが傾聴です。(あんまり前のめりな傾聴や、押し売り傾聴は別として)

ご自身に心の変容のニーズがある場合は、それを自覚する必要があります。この契約というのをできないと、フルディレクションか、ノンディレクションかで選ぶしかなくなってしまいます。

どうでもいいことは許してしまえ – 生き様

とはいえ、触れ難きに触れるわけですから、プロセスの中でセラピストの不理解とか、的外れとか、起きてきます。

問題の要は上述のとおり、葛藤、心理的抵抗です。ですので、セラピストの不理解や的外れがあったとしても、それがご自身の葛藤や相談テーマに関する心理的抵抗に関係ないなら、大目に見てしまえると、支援者をよく活用できます。

そこで、「この人の言うことなら、たとえ抵抗が起きたとしても聞いてみたい」と思えるセラピストを選ぶとよいです。完璧なセラピストではなくて、なんだか魅力がある、なんだか出会うことに意味がありそうな人です。

私のところに来た人たちも「この人だ!と思った」と言います。

それは、そのセラピストの知識のみならず、生き様を見ているのかもしれないと思います。

Kojunはこんな感じ

心の変容を促がす心理セラピーの場合は、ノンディレクションだけというわけにもいかないいことがあります。ご本人が無意識に葛藤から逃げようとしたときです。

しかし、クライアントが葛藤から逃げているというセラピストの見立てが間違っている場合もあります。間違ってても大きなお世話ですし、間違っていなければ必ず強い抵抗が起こります。そうなってしまうと、どっちにしてもセラピストは嫌がられるわけです。

で、私はどうしているか・・・・

私はご本人が望んでいることをしたいと思っています。

クライアントが「これはやっても無駄です」と言ったとき、それはクライアントの言うとおりなのか、プロセスが正しいがゆえの心理的抵抗が起きているのか? これの判断はとても難しいです。いや、総合的に観察していると心理的抵抗が起きていることはほぼ明らかなことは多々あります。そかし、それでもハンドルを奪ってはいけないような気もします。諦めるのも、逃げるのも、ごまかすのも本人の自由でしょう。

そこで、逃げないように助言するかどうかは・・・・・、心理セラピーを注文された本人の目的・要望(見立て)は何だったか?を考えています。それを達成するためであれば、強く推してみることもあります。つまり、それこそがご本人からの要望だからです。

ただ、セッションのなかでの気づきなどにより、心理的抵抗ではなく本当に要望が変わる場合もあります。でもそれは、心理的抵抗が作り出したニセの思考であることの方が多いです。

ですから、ご本人が慎重に判断できるための支援を行います。

「ぼくは幸せになんかならなくていい。もっと苦しみたいんだ」

本当なのかもしれません。まだ苦しみ足りないのかも。

ここで必要なことは、幸せになると何が困るのか、幸せの何が怖いのかということです。それを問うかどうか、私は慎重に判断します。それにクライアントが答えることができれば、進んでも逃げてもプロセスは進みます。その質問にクライアントが嘘の答えをつくりだしたなら、プロセスは後退します。

「この人は答えようとしているだろうか?」 もしそうだとしたら、問うて差し上げたい。

「この人は答えを見失いたくないだろうか?」 もしそうだとしたら、問わないほうがいい。問うてしまうと「別に幸せを怖れてなんかいません。もうすでに幸せだってことです」などのように真実をより隠す考えに変わってしまいますから。

手をひいてほしいのか、そっとしておいてほしいのか。

言葉で聞き出すことができないので、違う方法をつかいます。

心理支援者の探し方でいうと、相談テーマからご自身が逃げるとき、どの位置にいてくれる人かです。

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