無意識や前意識にあるものを意識化することで、心の問題が解けてゆくというセラピープロセスというものはあります。しかし、それは自分と向き合う、アウェアネスということであって、心理学的に理解するということではありません。
「あー、だから私はこうなっているのかあ」と解ったところで、解決するとは限りません。
心理カウンセリングでは、ときどき確認が必要になります。「解りたいのか? それとも解決したいのか?」
心理の克服のプロセスにおいては、解ることと、解決することは別のことです。
ここで言っている解るというのは、体験を避けて、自分の心から距離を置くことです。
解ったから解決するわけではないですし、解決したから解るわけでもないです。
心の問題をかかえて、心理学の勉強をしている人って、解決してない人も多いでしょ?
自分の心の問題について、「解決するつもりはない。何が起こっているか、心理学的に知りたい」という人もいます。
心の旅(体験的な実践をすること)に出なくて済むように解ろうとする人もいます。自分に向き合わずに解決したいから、とにかく頭で理解したいというわけです。
「解決したいのだけど、ある程度納得してから解決のワークに取り組みたい」という人もいるでしょう。それはある程度可能です。
少し予算と時間を費やせば、ある程度解ってから解決への旅に出ることはできます。
しかし、解ることを目的にすると、解決はしにくくなります。
「解れば解決する」というのは、「体験したくない」という影が生み出す幻想であることが多いように思います。