大阪での心理セラピーを受付開始していますすが、7月1~19日まで個人セッションをお休みします。

「広義PTSD」という言葉を使う理由~とくに暴力被害

私のところで扱う虐め被害や性暴力被害のPTSDについて、少し以前から広義PTSDという表記にしています。医学的診断名と区別するためですが、それについてちょっと書いてみます。

流行りの症状-診断名-療法選択モデル

まずは精神医学的診断のことを説明します。

精神医学マニュアルでは、症状(原因ではなく現象像)によって診断名をつけます。医師の主観によるところを少なくして診断を統一するというメリットがあります。

診断マニュアルDSM-5によると、PTSDは、トラウマ的出来事を体験や目撃、侵入症状(フラッシュバックなど)、回避(とくていのモノや場所を避ける)などのいくつかの基準を満たす(と医師が判断する)ことで診断されます。

そして、診断名から根拠ある療法選択を行うというのが今どきの流行となってきています。それをKojunは「症状-診断名-療法選択モデル」と呼んでいます。

根拠ある療法というのは、たとえば米国心理学会の部会が効果研究の成果をとりまとめていますので、一般の方でも簡単に調べることができます。たとえば、PTSDならこんな感じです。

Posttraumatic Stress Disorder | Division 12 of the American Psychological Association

この中でたとえば持続エクスポージャー法(Prolonged Exposure Therapy)が「強い根拠あり」とされています。

症状-診断名-療法選択モデルの限界

PTSD当事者の活動家のなかにも「エビデンスのある療法を普及させよう」なんて言っている人もいるのですが、「エビデンスのある療法」にこだわり過ぎないことをお勧めします。厚労省のサイトにも似た結論の記載がありますので後述に引用しておきます。

Kojunが気にしているのは次のようなものです。

診断基準に当てはまるケースに限ったとしても、PTSDといっても様々です。トラウマ的出来事だけでも、交通事故を目撃した、災害にあった、暴力被害(性暴力・虐め)を受けたなどなど、様々です。もともとはシェルショックといって兵士が戦場でうけるものでした。これらの違いは無視してよいものでしょうか?

症状-診断名-療法選択モデルでは、診断名に集約されてしまうので、それらを区別せずに療法を選ぶことになります。

たとえば性暴力被害では、「助けてくれるべき人(たとえば学校の先生)が助けてくれなかった」とか「家族が怒り狂ってくれなかった」とか「抵抗しなかった自分への混乱した思い」などというテーマが、強烈な恐ろしさと悲しみとして関与していることがあります。虐め被害では「あいつら卑怯だ」「俺が悪いのか」「加害者にニコニコしてしまった自分」などのテーマがあります。そこを癒すことがトラウマ克服の鍵であることも多いです。これらはシェルショックや事故目撃トラウマにはありません。

症状-診断名-療法選択モデル至上主義で、シェルショックも性暴力も同じだと思っている専門家もいますが、どうでしょうか?

「骨折」「火傷」であれば、事故なのか暴力なのかによって治療法が変わることはあまりないでしょう。ですが、心の傷はそれとは全く異なります。

本来は心理支援の診断名やラベルは「骨折」のような実体の把握というよりは、作業仮説や参考モデルとして活用するものでしょう。

心理セラピーも教科書通りにならないところからが本番ですしね。

診断名は便利ではあるが、そのクライアントに具体的に生じている問題を見えなくしてしまうことが最大の問題である。

『心理療法の交差点2』第四章 若島孔文

精神疾患の厳密さや正確さに書ける名前や説明でも、何もないよりはましというわけだ。(中略)現在最高の科学も、そう遠くない将来にはただの架空の親和とみなされるだろう。

『〈正常〉を救え』アレン・フランセス(DSM-IV作成委員長)

人工的な実験室や計算によって証明されたとしても、現実の世界に適用されるとは限らないということは知られていて、生態学的妥当性の問題と呼ばれています。ただ、広告などで実験室の白衣スタッフの画像がよく使われているように、多くの人は”科学っぽさ”を盲目的に信じます。

診断名PTSDと広義PTSD

医学的診断をしない在野のセラピストでもPTSDという言葉は使っていました。それは診断マニュアルのためにつくられた言葉ではないので。

そして、心理セラピストは人やケースによって異なる個別性を扱うことこそが仕事です。

一方で診断マニュアルのPTSDは、診断基準で示される共通の症状等の裏に共通の何か(腫れや痛みの裏にある「骨折」に相当するもの)があるという想定かもしれませんが、あったとしてもそれは個別的側面ではなくて共通的側面です。

あなたが解決したいのはその共通側面や症状でしょうか。

Kojunが広義PTSDとうい言葉を使うのは診断基準を満たさないけれども同様に扱えるものを含むためでもありますが、個別的側面を扱うよという意味でもあります。

共通的側面は、やはり症状そのものでしょう。フラッシュバックなどをなくすことが当面の目的なら、症状-診断名-療法選択モデルで選択される療法にあたってみるのもよいかもしれません。

Kojunの広義PTSDのセラピーでは、できるだけ個別的側面を扱おうとします。

共通的側面(フラッシュバックなどの症状)は症状-診断名-療法選択モデルで治療し、個別的側面(上述にテーマと呼んだ悲しみや尊厳や怒りや安心感)などは人間性/実存アプローチのセラピーところで癒すなんていう考え方もあるかもしれません。

ですが、それらは繋がっているというか、一体化しているといいうか、表裏のようなところがあります。

ですので、人間性/実存アプローチのKojunのセラピーでも「PTSDではない部分を扱います」という言い方はしにくいく、広義PTSDと呼んでいます。全体として一緒に扱うことになります。そのように要素に分解できないという立場を心理学ではゲシュタルトと言います。

KojunのPTSDセラピーの中にも持続エクスポージャーに似た部分が含まれています。

ちなみに「エビデンスのある療法」は統計研究がしやすい療法でもあります。すなわち、手順が決まっていて、誰がやっても同じ結果がでやすい療法です。無難で安心ですが、融通はききにくいかもしれません。そのあたりもクライアントの好みがあるかと思います。

ちなみに、持続エクスポージャーのあるマニュアルを拝見したことがありますが、それは「1回目セッションで説明をして・・・」というように丁寧なものでした。

Kojunのセラピーでは本人が「やるか、やらないか」決めるというステップを重視しています。「やめる」を選択された場合にはセラピストとしては成果がでないのですが、それでもそれも心理セラピーだと思っています。

性暴力被害の相談電話では無言電話が多いといいます。

性暴力被害や支援トラウマ(支援者の態度に傷ついた体験)の当事者にとって、相談するか/しないか、その一歩がとても大きいわけです。心理セラピーに申し込んで当日キャンセルするなんていうのも、とっても素晴らしい一歩だと思います。ですので、プログラム的な手順はありません。クライアントに基本シナリオはお伝えしますが、当日になってセラピーせずにお話だけすることもあるでしょう。

しかし行政への相談によって傷ついた人たちが、どれほど多いかを行政は知りません。そうした人たちが、あえて相談に出向くはずがありません。

『親の「死体」と生きる若者たち』山田孝明 著

何をするか vs 誰とするか

技術か人か? 療法で選ぶか、人で選ぶか? 何をするか、誰とするか?

これは心理セラピストの間でも議論になるテーマです。初心のセラピストは知識や技術が大事なんじゃないかと思う傾向があります。ある研究によると、成功要因は「誰」(関係要因)が30%、「何」(技法要因)が15%だそうです。

症状-診断名-療法選択モデルの限界のもう一つは、「誰とするか」が全く無視されていることです。研究者や臨床心理学者はそこになかなか気づきませんが、当事者にとっては大事かもしれません。

こうした特殊な治療を受けることができなくても、信頼できる先生によく話しを聞いて理解して貰えたと感じるだけでも、ある程度は良くなる場合があります。トラウマというデリケートな問題を扱う場合、特定の治療法より、治療者の能力や、相性に左右される部分もあります。特殊な技法を求めるよりもまず、自分の話をよく聞いてくれる、信頼のできる医師や公認心理師をみつけることが先決です。

厚生労働省「みんなのメンタルヘルス」
※厚労省なので医師と公認心理師オシになっていますが(笑) 最初のアクセスは在野セラピストや当事者団体の人もありだと思います。
ます。

技法で選ぶ場合についてのヒントはこちらに挙げておきます。

余談ですが。文科省の学校内での健康相談に関する文書で、中学生の性暴力被害について、担任や精神科医などが連携して支援を継続して上手くいったという事例が掲載されています。それは良い事例なのだと思いますが、私は本人による報告(それを求めるものではないですが)、本人の言葉を読まない限り納得しません。10年後に大人になってから私のところに来るクライアントたちによると、支援を受ける過程が暴力であることは多く、支援者はそれに気づかない。事例にある「上手くいった」というのは支援者の仕事が上手くいったということだと思います。本人にとってはどうだったのでしょうか。もしも本人が報告を書いたなら、PTSDなどを防いだだとしても「上手くいった」という言葉でしめくくるとは思えない気がします。

このような話をすると、心理専門家の先生たちは、ポカーンとなって話を逸らします。