椅子と外の景色

「感情力動アプローチ」による Kojun心理セラピー

ここではKojunの心理セラピー(心理療法)の土台の1つ「感情力動アプローチ」(感情処理に基づく精神力動アプローチ)について書いてみたいと思います。

そのルーツ

「精神力動アプローチ」はもともとフロイトの流れをくむ心理療法の主流の1つです。人間の無意識を扱うというのが特徴です。

「力動」というのは物理学の力学エネルギーの比喩です。物理学のエネルギー保存法則のように、抑圧された心的エネルギーは消えず残ってるぞ、という意味です。

自動車が停止するときに運動エネルギーが摩擦熱エネルギーに変わるように「エネルギーは消えたように見えても、形を変えて表れる」というのがエネルギー保存則ですが、人間の抑圧された心的エネルギーも形を変えて表れるということを指しているのでしょう。

怒りを我慢していると、涙が出てきたりします。

その抑圧されたものを解放すると深層心理レベルの問題が解決することが発見されたのが精神分析のはじまり。

アンナ.Oは「煙突掃除」や「トーキングケア」と呼ぶようになります。(中略)ブロイアー自身はこのプロセスを「カタルシスメソッド」と呼んでいました。アンナ.Oの症例『こころの探検』

ヒステリー症までいかなくとも、話を聞いてもらって号泣するとカタルシスが起きて精神が自由になったりすることはありますね。

現代風にアレンジ

Kojunセラピーで現代風にアレンジされている点の1つは、「感情」を中心に扱うということです。

フロイトは「性的エネルギー」(簡単にいうと、青年期までに抑圧されたエロい欲求みたいなもの)を扱うのに対して、現代風の技法ではゲシュタルト療法などの影響もうけて、「感情エネルギー」を扱います。

感情力動の例

解放(煙突掃除?)の事例を挙げてみます。

(事例1)「離婚してから何年たっても涙が止まらない」というような場合、「私は怒ってます!」と言って怒りを呼びだすと、その離婚トラウマに終止符がうたれることがあります。

(事例2)逆に、裏切られた怒りが何年も止まらないという場合、「仲間だと思っていたのに悲しいよ」と涙を流すことでそのトラウマに終止符がうたれることがあります。「怒り」「涙」のような感情の力学を解いているわけです。

(事例3)すぐ怒っちゃうという性格のお悩みの奥に「悲しみ」の感情が隠れていたりします。「泣くことは弱いことだ、けしからん」というような抑圧があると、悲しみが「怒りっぽい」へと形をかえて出てきているということになります。その悲しみの感情エネルギーを解放すると「怒りっぽい」という呪縛が解けるというわけです。

「心理的抵抗」がある

(例3)の場合、「さあ、悲しんでください」と言ってもご本人はそれに抵抗があるわけです。場合によっては、悲しい出来事を思い出す必要があるかもしれません。それを解放しようとすればするほど、抵抗が大きくなってお悩みは深刻化します。

そこで、長期間にわたってカウンセラーに通ったり、催眠によって抵抗を弱めたり、占い師が「おやおや、悲しみのカードが出ましたよ」と言ってみたりするわけです。

愚か者じゃないと出来ないアプローチ

精神力動の短期療法は、そこに真正面から向き合っちゃおうというアプローチで、イメージワークなどを行いながら数十分で単刀直入にやっちゃうわけです。

そこで先の例だと、「怒りっぽい」を出してもしかたなくて、「悲しい」を出す必要があります。だからといって、セラピストに「本当は悲しいんでしょ」みたいなことを言われると、なんだかムカつきますね。でもあえて、それをやるんです。愚かですよね。

この技法を使って何の効果もなかったとかいう話をセラピスト、相談者の双方から聞きます。それは、本当の感情にかすってもいないようです(かすれば葛藤が起きますが、それすら起きていない)。原因としては、セラピストが本当の感情に触れたことがないから騙される(上述の例だと間違って「怒り」を解放してしまう)、まはたセラピストが底を蹴った経験をしてないからクライアントを見下してしまい抵抗を解除できない、ということがあるようです。まあ、でも、そんなものです。ごめんなさい。「専門家さんのところでやりました」と言うのですが、ある師が言ったように「知識(形式知)は人を救わない」と思います。

学位をもっていようが、資格をもっていようが、暴力的な人とケンカして土下座させたこともないような心理専門家が怒りのワークを導くことは困難です。怒りを知らない専門家が「怒りを出しましょう」などと言うと、たいていのクライアントはブチ切れたような態度をとります。それは全く怒りの解放になっていなくて、恐怖でパニックになっているのと同じ心理状態になっているのです。本当の感情を隠しながら自分を傷つける方法をまたひとつ覚えただけという結果になります。精神科医、大学教授、サイコロジスト(しんりし)のところで起こりがちなパターンです。

絶望のどん底で泣いたことがないセラピストが、「泣いていいんですよ」とか言っても、カタルシスがおきる条件を整えてさしあげることはできません。涙は流すものの、大事だ感情だけは抑圧したままというようなことが起こります。これはワークショップ、セミナーなどに多いようです。

セラピストにむいているのは傷つきし愚か者でしょうか。そういえばピエロのメイクには涙を描くことになってますね。

参考:宮廷道化師は王様のセラピストだったと思う

「愚かなセラピストがいい」というのはあんまりなので、かっこよく言えば、これはセラピストとクライアントの信頼関係というか、セラピストの独特の人柄なんかが必要となってくるとも言えます。セラピスト自身が「ホントは悲しいんだ」をやったことがなかったらお話になりません。セラピスト自身が「泣くのは弱いことだ。けしからん」と思ってたらお話になりません。普段は悲しみをみせることに抵抗のあるクライアントが「この人の前なら鼻水ぐじゅぐじゅの泣き顔を見せてもいい」と思える人物でなければできません。

多くの治療法において絶大な効果を発揮する医療・白衣・サイコロジスト(心理士)資格・博士号などのプラシーボ効果(期待要因)が、ここではあまり役に立たないようです。

克服プロセスが求めているのは、「立派ではないものを愛する」「弱いものを尊敬する」というような権威を信じるのとは真逆の方向性だからです。

たとえば、涙を流してカタルシスを通り抜けるというプロセスが必要なとき、これまで弱音をはかずに頑張ってきた人がそれをするのはとても難しいのです。社会で辛酸をなめたこともない坊やが、、マークシート試験に合格してサイコロジストの資格をとったからといって、人前で泣かない決意で生き延びてきた人に対して「泣いてもいいんですよ」とか言う資格はないのです。


クライアントの本当の気持ちに触れるわけですが、そこは世間的な常識や規範に反するものが多く関わります。たとえば、上記の例では世間的な常識や規範は「泣かない方がいい」ですよね。ですので、世間の常識よりもクライアントの味方をしそうなセラピストが向いています。肩書や所属団体に拘ったり、組織の上長の顔色をうかがっているような優等生くんよりも、社会からちょっとはみでた感じの人がよいかもしれません。

昔はなんだかわけありな人がネイティブ(当事者的な)な経験を経てセラピストになることが多かったのですが、最近は心理学の知識を勉強をしてカウンセラーになる(ナレッジ&スキルな)人が増えてます。

なので、精神力動アプローチを提供できるセラピストが相対的に減ってきていると思います。

効率を求める病院な福祉などでは、セラピストの生き様にあまり関係なく「誰がやっても効果がある」技法(たとえば認知行動療法など)が好まれるのは当然です。

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