「専門家としての姿勢」などと言われてますが

心理職のコンピテンシーと言われている項目について、私のことを振返ってみます。今回は「専門家としての姿勢」と「文化的ダイバーシティ」。

「専門家としての姿勢」

専門家としてふさわしい価値観や倫理をもつべしというものです。

専門家の言動が人に与える影響というものをよくよく配慮しましょうという説明もされていて、それはまあ分かります。なので、全面反対ではないのですが、この言葉にはかすかに、微妙な違和感を感じます。

感じる違和感

私はわたしです。私には私の価値観や倫理があります。

規範に従ってそれを変えることはありません。

わかるひとにはわかるかもしれない、微妙な違和感の話です。

 

「心理職だから人に寄り添わなきゃ」と思って寄り添ってくれる支援者。気持ち悪くないですか?

 
まあ、そういうことを言っているわけではないのでしょうけど。でも最近は「カウンセラーがキモイ」という人が増えていることとも繋がっていると思います。

たとえば、今日ではLGBTQを差別することなく配慮すべきだというのが心理職の規範となっています。

それが規範となったのは最近のことです。昔は専門家の間でも治すべき病気のように思われていました。私はLGBTQの当事者ですから、私を否定する心理職がいたことを身をもって知っています。

しかし、その当時から私のクィアさを否定しない人たちもいました。

ですから、今日いる心理職は2通りということになります。

  • もともとLGBTQを否定しない心理職
  • 規範を取り入れてLGBTQを否定しないようになった心理職

です。これらはどちらも「私はLGBTQを否定しません」と言うので、表面的には同じです。しかし、当事者はこれらの違いを敏感に察します。

私は「心理職はこういう価値観でなければなない」というように、心理職の規範に従って自分の価値観をつくることをしません。

規範に従ったのではなく「もともと」であるというところに、大切な自分のルーツがあると感じています。

私はLGBTQを否定しませんが、それはそれが心理職の規範だからではなりません。私がLGBTQだからです。

トラウマをもつ人への応援する気持ち、人と同じことができない人への寛容さ、泣いている人を弱い人として見下さない、などはセラピストらしさかもしれませんが、それらも同様で、心理職としてあるべき規範だからそうなったのではありません。

それは人生の途中で身に着けたものもあります。ですが、心理職になるために身に着けたわけではありません。

規範か、元々か

例えば役所の職員は公正を重視すべきであり、弁護士は法を尊ぶ人であるべきでしょう。しかし、心理セラピストがもつ性質というのは、そのような「べき」論ではないと思います。

あるカウンセラーが相談者のことを馬鹿にする発言したり、嘲笑したりしているのを聴いたことがあります。それは人を傷つけるもので、心理職にはふさわしくないでしょう。だから言動に気を付けてくださいとは思いません。そのような人は言動を直したとしても、カウンセラーではないのだと思います。

私は無職の人を馬鹿にしたりはしません。それは、それが心理職のあるべき態度だからではありません。ほんとうに馬鹿にしていないのです。とくにセッションに申し込んでこられるような人は、なにかをかかえ、それでもあきらめずに出来ることをしようとしてます。尊敬しているのです。

心理職らしからぬ部分も大切

私には心理職らしからぬ部分もあり、それが問題にならないように気をつけることはあります。しかし、直すのではなく、正直にクライアントに伝えます。

私は心掛けて心理職らしくなった心理支援者を信用しません。自分の心理職らしからぬところについて正直な人のところに相談に行きたいです。

クリニックで制服を着ているような、ちゃんとした心理職の人たちにもお世話になったことがあります。いい人たちでした。でも、ちょっとロボットみたいな感じでもありました。施設の治療構造[1]しっかりルールや建物があることで実現される定常さが心の治療に役立つでは、そのロボットぽさみたいなのが、けっこうよかったりします。なので、そういう心理職も必要だろうと思います。

でも、たんくさんの心理支援者に会ってきた当事者側の体験からすると、ロボットぽい人ばかりではなく、本音でガツンみたいな心理支援者と出会ったことも重要でした。

私は心理職らしさよりも、一人の個性ある人間としてクライアントと出会いたいと思っています。

人を傷つけるようなことを言わないというのもわかりますが、人が傷つかない人になりたいと思っています。「あなたに言われると不思議と傷つかないね。あはは」と言われます。これは私がお世話になった先輩セラピストたちの特徴でもあります。

「文化的ダイバーシティ」

「文化的ダイバーシティ」というのも心理職の基盤として挙げられています。先に挙げたLGBTQの例もこれですね。

よくカウンセリングを受けると「LGBTQであることは悪いことではないよ」という話をされることがあります。そんなこと支援者に言われたくありません。そんな当たり前のことを言ってもらうためにカウンセリングを受けているのではありません。

カウンセラーがカウンセラーらしくあるためのカウンセリング。いらない。

ジェンダー/セクシャリティについての相談をしたこともあります。そのとき、カウンセラーが「わたしはなにも分かってないですね」と言ってくれたのがとてもよかったです。

多様性について、もっとも信頼できる人というのは、ご自身が多様性をすべて受け入れることができていないと自覚のある人だと思います。

ちょっぴり濁った水。

本当にダイバーシティを受け入れている心理職の方は、心理職の理想像を1つに限定しないと思います。

そもそも「専門家」を目指さない

また、以前は「専門家」という言葉に誇りをもっていましたが、いまはそれを改めました。

専門家の言葉は人に強く影響するので、気を付けましょう。それはそう思います。不用意に「あなたはトラウマです」などと言うことが何かを引き起こしてしまうことを知っておく必要があります。

しかし、「専門家だから信じる」ということ自体を世の中からなくしていきたいと思います。

私は相談者(クライアント)や患者の立場で過ごした時期があります。多くの当事者や患者でピアで関わった時期を思い出すと、当事者はけっこうフィールドワークしていました。

当事者の間で以前から言われていたことを、数年から十数年も遅れて専門家(心理学者や精神科医)が偉そうに発見し、歴史には専門家の名が残るというのが臨床心理の偉人史だと思います。

私はクライアントに専門家であるという理由で妄信されたくありません。私のクライアントは、ご自身の内観と照らして納得いくから信じます。

私を信じてほしいのではなくて、ご自身の体験を信じてほしいのです。ご自身で確かめてほしいのです。

そして、セラピストごときが何を言っても、ご自身で判断できるようになってほしいのです。

「ためしに信じてやってみる」くらいはいいでしょう。

ですから、「専門家の言動の影響力にきをつける」というのは、私の場合は「私を妄信させない。自己決定力を尊重する」ということになります。そのうえで、私の意見をバンバン言います。

ナラティブセラピーの関係者から聞いた考えで、「専門性を磨くことはよいが、専門家になってはいけない」というのがあるそうです。ほんとうにそうだと思います。

「専門家」もいてもよいでしょう。心理の知識をつかった行政での公平な仕事、調査や研究をするサイコロジストです。私はそれらとは違う、自分という存在をつかって人に触れるセラピストです。

専門家というのは人を見ずに、専門知識の方を見ている感じがします。

私は「門」ではなくて「道」の人でありたいと思います。

脚注[+]

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