見ている世界が違うということを感じとれてこそ、つながり

「対話」は「会話」とは違うそうです。

お互いに見ている世界が違うことを前提に話すのが「対話」。

カウンセリングやコーチングでは、評価・判断(自分が見ている世界を相手に押し付ける)を控えるようにと教えられます。

しかし、「私にはそう見える」と付け加えたり、「ちょっと思ったことを言ってみてもいいかなあ」などとそれっぽい言い回しをしても、「対話」にはならない。それは表面的なことでしかありません。

言い回しの型(かた)を学んでも、あり方は変わらないと思います。

アンダーグランド(自由人)の師匠たち、ホンモノのセラピーの師匠たち、知人のあの人たちは、ちゃんと「対話」してくれます。いろいろ教えてくれるけど、その前に生き方がある。爽やかなのは、熱くても押し付けではないから。

見ている世界が違うということを感じとれてこそ、つながり。そんな場をつくってゆきたいと思います。

いろいろな自分らしさを生きている人たちを見て思います。同じだから共感したり、肯定できるのではないと。違うことが共感、肯定を生み出すと。(たとえば、ジェンダーのことも)

昔の自己啓発セミナーは、逃げられないようにして、何かを押し付けるものがありました。

心理セラピーは、真逆で、どこまでも本人を自由にしてゆきます。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

\(^o^)/

- protected -