幼少期を扱う心理セラピー

人生を支配する感情パターン対人関係パターンのお悩みを扱う場合は幼少期に触れることが少なくありません。

アダルトチルドレンや家族機能不全1の影響について扱う場合ももちろん幼少期に触れます。

「あの頃」と「いまここ」

ただし、深層心理に変化を狙う場合は、ゲシュタルト療法や力動アプローチを取り入れます。

ゲシュタルト療法では「いまここ」で起きている体験を重視します。

「いまなにが起きていますか?」「いま何を感じていますか?」というように、今この瞬間の体験に意識を向けてもらうことになります。

しかし、心理セラピーの対面場面でいきなり「いまなにが起きていますか?」と尋ねても、セラピストと対面する緊張感が発見されるだけかもしれません。それに意識を向けてもクライアントのお悩みは解決しないことも多いでしょう。たまたま解決したいお悩みが「対人緊張」なら繋がっているかもしれませんが。

ですので、「いつも人の顔色をうかがってしまう」という対人関係パターンのお悩みであれば、そのエピソードなどを語ってもらったうえで、「いま、涙ぐんでいますね。いまなにが起きていますか?」というように尋ねる必要があります。これならばお悩みと関係のある「いまここ」体験に触れることができるでしょう。

記憶を参照しているという意味では、純粋な「いまここ」ではないかもしれませんが、涙が出るという身体反応はいまここに再現されています。

心理セラピーの感想で「私は本当は悲しかったんですね」などというのが多いのは、このような体験によるものです。頭で感じている感情では人の顔色を伺う自分にイライラ、人がどう思うか心配といったものがあるのですが、身体が表現しているのは悲しみ(涙)だったというわけです。思考と身体の不一致が解消されて、ゆるしやカタルシスが起きるわけです。

さらに、「いつも人の顔色をうかがってしまう」というパターンが幼少期から続いているのであれば、「近所の人が見てるでしょ!お母さんに恥をかかせないで!」という声のようなものが聞こえている感じがしてくるかもしれません。

これも過去の記憶(といっても無意識にあったもの)が出てきているので厳密な「いまここ」ではないのですが、「いまここ」の感情体験に心を開くことで出てきた記憶ですから、「いまここに蘇る記憶」という本人の体験なのです。それは心理学の教科書から出してきたのではなくて、いまここの自分から出てきたのです。

心理セラピストに求められること

さて、そのときご自身は幼少期の母親の声を聴いている(気にしている)わけですから、それに対する感情を見つける必要があります。

たとえば、お母さんに恥をかかせるとどうなるのか? 叱られる、母親が悲しむ、母親がパニックになるなどの心配像が出てきます。

それを特定したうえで、「かなしいね」とか「こわいね」というようにセラピストが情動調律を行います。

現在大人になった本人はもとより、幼少期の本人も、なにが起きているのか自覚していません。人の顔色をうかがうことで必死に生き延びたのです。

そこで「かなしいね」「こわいね」というように情緒と言葉を繋げてさしあげるわけです。これは感情概念があいまいな幼児に「いたいねー」「こわかったね」などと声をかける情動調律と同様の作用をもたらすのです。そのようにして幼少期の感情を処理してゆくのです。

セラピストは「かなしいね」と声をかけるよう(またはオウム返しするように)に教えられるのですが、マニュアル通りだとちょっとズレる場合があります。セラピストがマニュアルではなく実存を使うならば、それは声掛けではなく協働作業となります。

この種の心理セラピーを行うセラピストは、自身が情動のワークスルー経験を重ねている必要があります。それなくして、セラピスト役の練習を回数重ねても手順に慣れるだけで、なかなな上手くいかないでしょう。なにが起きているのかわかっていないとズレてきます。

そういえば、私がかつての師匠に「セラピーの手順なんて真似されちゃいますね」と言ったら、「目に見える部分を真似してもだめだ。見えない部分を習得しなさい」と言われました。そして、その後たしかに形式だけ真似をしたセラピーが増え(教材ごとコピーしたセラピー講座など)、「あれは効果ない」などという噂も起きました。

「あ、これは真似はできないのだ」と気づいてからが、心理セラピストの勉強ですね。

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