心理支援の統合アプローチ:IT業界の標準化を参考に

情報科学/IT業界を経験しております私からすると、心理とITは共通する部分があります。

コンピュータシステムせよ、管理システムにせよ、機械的な理想論ではなく、人間の心理を踏まえた現実論が生き残ってきました。

臨床心理学は各業界の中に潜んでいるのですが、ここでは2つ業界そのものについて感じることを書いてみます。

技術の多様性

IT業界では多重化や多様性が好まれます。たとえば、このブログサイトの通信セキュリティであるHTTPSという仕組みは、複数の暗号化技術を運用者が選べるようになっています。現在主流のRSA暗号化技術に問題が生じたら楕円曲線暗号化技術に切り替えることが出来ます。

ある技術が行詰っても、大きな枠組みは崩壊しないようになってます。ここで二つの暗号化技術は攻撃し合っているのではなく、補い合っているのです。

心理支援業界では、統合アプローチというのがそれに似ています。複数の技術を併存させておくというものです。

30年前にはどのプログラム言語が最高だとか争ってましたが、そんな時代はとっくに終わりました。

心理業界には、一つの正解を求めたり、他の流派を否定したりする風習の名残りを感じます。この点については、IT業界が30年進んでいる印象です。

オープンさの違いでしょうか。

心理業界に欠けているオープンな標準化技術

オープンと言えばIT業界には「標準化」とう言葉があります。これは国や世界で仕様を決めることを言います。

心理支援の業界の標準化と大きく異なるのは、「どの技術が優れているか」ではなくて「どのようにしたら異なる技術が共存できるか」に関心がおかれている点です。

「正解」を決めているわけではないということです。そうではなくて多様性が共存するためのものなのです。「この技術が一番よいから、これを標準にしよう」というのではないのです。

たとえば、インターネットは「ネットの間」が語源です。様々に異なるネットワークやシステムが繋がるための約束事として作られています。異なるものが共存するための標準規格がインターネットなのです。ですから、WindowsもAndroidもiPhoneも参加できるわけです。

USB規格は異なるメーカーや異なる種類の機器が接続できるようにするための標準化です。ですから大手F社と仲のよい会社しかF社製PCと繋がる機器を開発できないなんてことにならないのです。

標準化が弱かったころは、デファクトスタンダードになった1社が世界を支配しました。ですから、自社が生き延びるためには他社を亡ぼす必要があったのです。それでは良い技術を作っても普及しません。そうならないための標準化ですから、「オープン」は「独占」の反対、協調的な競争の在り方なのです。

心理業界で標準化というと、心理療法などの手順をマニュアルできっちり決めることを指します。これはエビデンスを得るための効果研究をするときに、セラピストによってやり方が異なると実験にならないからです。この標準化はITの標準化とは真逆、どちらかというと一つの正解を作ってしまいがちですね。

心理支援業界では、ライセンス的な資格制度、独占業務によって参入障壁を作ろうとするのは、30年前のIT業界のようです。

「自殺念慮のある人にはこんな風に対応するのがよい」というようなガイドラインもスタンダードと呼ばれますが、それはオープンな標準化ではありません。デファクトスタンダードではあるかもしれませんが。

IT業界も30年前くらいには、宗教戦争と呼ばれる、OSの支配競争とかC言語至上主義などありました。が、そこに平和をもたらしたのがオープンな標準化技術です。他者をけなす者よりも、他者を活かせる者が普及するようになったのです。

もはやiPhoneファンがWindowsの悪口を言う必要はなくなりました。Androidが普及するためにiPhoneを打倒する必要もありません。TCP/IPやUSBなどの標準化によって繋がったり併存したりしています。競争はありますが、相手の欠点を叩くのではなく、補うのが競争となります。

「原理vs原理」は、どちらかの原理がどちらかの原理を凌駕し制服するという、「大統一理論」を追求するかのような構造に陥りやすい。

杉原保史・福島哲夫編『心理療法統合ハンドブック』p.72

心理業界においてオープンな標準化に近いものとしては、マイクロカウンセリング(マイクロ技法)という枠組みがあります。たとえば「積極技法は傾聴サイクルの土台が必要」としていますが、「積極技法」として具体的にどの手法を選ぶかは各支援者(カウンセラー)のスタイルにゆだねられます。

オープンな標準化というのは、正解を押し付けること不正解を排除するものではなく、異質なものを共存させようと意図するものです。それは標準化より後から現れる新たな技術、一部の人にしかニーズのないニッチな技術、旧い技術すらも共存させます。

この「オープン」という概念は、心理支援でいえば、統合アプローチの研究分野になるかもしれません。なお、資格で使用制限される技術や学歴で受験制限される資格などは、オープンな標準化にはあたらないということも付け加えておきます。

(「カウンセリングをする人はこの基準を満たしてね。みんな頑張れ」は標準化の一種としてあり得ますが、「この基準を満たさない人にはカウンセリングはさせないぞ」は標準化ではなく参入制限です)

「オープンな標準化」は民主主義などにも似ています。権威による集中管理とは真逆です。情報セキュリティ基本法では「開放性」や「自律性」が謳われています。

サイバー空間の脅威に対して、一部の国においては、国家が優越的な地位から管理・統制することを重視するという潮流が出てきている。しかしながら、国家によるサイバー空間の管理・統制を強めることは、このような自律的・持続的な発展の可能性を閉ざすことになる。全ての主体の自律的な取組により発展してきたサイバー空間を尊重し、連携・協調してサイバーセキュリティの確保に取り組む必要がある。

閣議決定文書「サイバーセキュリティ戦略」p.2

国際標準規格のISOもかつては「各社のやり方を正解に合わせる」という厳格主義でしたが、二十年前くらいか「各社のやり方を宣言することを要求する」というように変わってきているそうです。そうしないと時代に耐えられないし、業界が発展しないんですね。工業界も苦労して身につけてきたのです。

オープンという実践は、本来であれば心理業界が得意とするはずのものですから、心理業界の今後に期待します。

成果物と外在化

心理の世界では、自分に起きていることを客観的にみることを「外在化」といいます。(他のニュアンスで使われることもあります)

たとえば、トラウマに向き合うセラピーに備えて、予め安全ブレーキの一つとして「安全なイメージ」というものを決めておくというやり方があります。たとえば、「安心できる場所」とかですね。で、なんとかく思っているだけではなくて、言葉にしておく、書き出しておくというのがとても効果的なのです。「私にとっての安心できる場所は◇◇。それは〇〇な場所で、そこには□□があり、そこにいると△△な気持ちになります」みたいな感じです。1

ここでいう外在化とは、そのような言語化や書き出しのことです。

IT業界では、要件定義、設計書、セキュリティポリシーなどの明文化を成果物と呼んでいます。これは「言った言わない」トラブルを防ぐ以上の意味があります。それは個別の当事者(技術者や組織)が自分を知るためのものでもあります。そして、そのための心理技術は発達しています。

たとえば、私がセッション中にクライアントに気持ちや目標の言語化を促すとき、「あとで変えてることもできますよ。仮でもよいですよ」と言ったりします。それは「一度決めたら変えてはいけないとなると、人は硬直化してしまう」ということを熟知した技術です。完璧じゃないものを許すことによって完璧に近づきやすくするという心理技術です。

なんども再定義を繰り返す方法をIT業界ではスパイラル開発と呼びます。私の心理療法ではこの原理を活用しています。

ベテラン臨床心理士は似たようなことを「介入しながらの査定」と呼びます。セラピストの仮説や見立ては常に変わり続けるってことです。クライアントも試行錯誤して変わり続けます。ブレるのとは違います。

「ブレてる」を避けて「試行錯誤」を促すのが技術です。

カウンセラーが書く面接記録も、スパイラルと外在化の組み合わせと捉えることができそうです。

面接記録は事後検証のためのログというだけではないことは先人たちも指摘しています。

心理業界では個人技術(または権威からの指導)、IT業界ではチーム技術として発展してきています。

プロセス指向

IT業界ではプロセスが研究されてきました。答えよりもプロセスが大事であるといことに20年くらい前に気づかれています。そえれは「結果だけでなく努力も評価してくれよ」という意味ではありません。開発の品質はアウトプットではなくプロセスにあるということなのです。

さきほどのスパイラルもその一つです。スパイラル開発されていないシステムは、納品テストで満点をとったとしても、なにかのきっかけで崩壊することがあります。スパイラル開発されたシステムは進化して生き残ります。

つまり、正解を学んだ(ダメ出し教育を受けた)心理カウンセラーよりも、自己受容を学んだ心理カウンセラーのほうが適応力が高いということかもしれません。

メンタルヘルスに近いものとしては、セキュリティ管理、プロジェクト管理があります。これらの監査では第一に内省能力が問われます。つまり、自らの欠陥を捉える能力です。

下の図で、ありがちなレベル0を抜け出しているかということです。

Lv.心理業界IT業界
健全高度な達成
マインドフル(あるがまま、気づき)
アクセプタンス
外在化
セキュリティ診断
管理台帳、要件管理
目を背けている、自己不一致、抑圧管理されていない、レベルゼロ

ITやマネジメントでは、まずレベル1を推奨します。

世間はレベル2を求めてきますから、レベル1は世間からの批判を受けます。そして、批判をおそれてレベル0に逃げてしまうというのが人の心理です。

この構造は、「引きこもりの人が少しだけアルバイトをしたら、無職ではなくなるため公的支援が受けられなくなる」とか、「うつ病の人が楽しく笑ったら仮病扱いされる」というようなことにも似ています。レベル2しか許さない社会や思想がレベル0を増やしているのです。

昨今の心理支援業界はレベル1を否定する(ダメ出し文化)かもしれません。

IT業界はこの構造に真っ向から立ち向かってきました。「何が出来ていないか知っている」ということは、「目をそらしていることよりも優れている」ということを強調するのです。

心理の世界では自己一致とも呼ばれます。これはたいへんな実践です。

これは「他を裁くことよりも、自が高度な実践をする」という業界の文化によって成立します。

これは本来は心理専門家がIT業界やマネジメントに指導してもよいテーマですが、IT業界の方が進んでいる印象です。当事者と専門家が分離していないからでしょう。評論家では自己一致は促せません。

高学歴専門家の立ち位置

心理業界の高学歴者からは「無資格者や低学歴者のカウンセリングは受けないほうがよいぞ」という意見も出ています。しかし、IT業界の高学歴者から「無資格者や低学歴者の作ったアプリは使わないほうがいいぞ」という意見は聞かれません。

心を扱う仕事は素人がやると危険とか言いますが、ITでもセキュリティとか様々なリスクがあります。では、IT業界の高学歴者は素人や低学歴者を締め出す代わりに何をするかというと、「スマフォ端末側にセキュリティチェック機能をつけてやろう」とか「セキュリティホールが生じないプログラミング言語を作ってやろう」とか考えるわけです。

私はIT業界の経験があるので、臨床心理の大学院出身の先生たちは、各カウンセリング現場の心理職を背後から助けてくれる存在だと思っていました。ですが、どうも最近は助けるどころか、自分たちの仕事が奪われるのを心配したりしてることもあるようです。これにはかなりの伸びしろがあるように思います。

参考

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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