「当事者は不幸を選ぶ権利もある」

ネイティブセラピストの特徴に当事者視点があります。

それは支援者都合の支援、社会都合の支援 との対比です。

社会都合の支援とは、就労させることをを目的とした自立支援福祉サービスなどです。

支援者都合の支援というのは、性暴力被害者のPTSD症状を消す目的で心理療法をする、薬物依存者を社会復帰させるために治療するなどです。

心の問題が関与する場合、そこではありのままの自分を受け入れることが許されず、心のプロセスが進みません。

せいぜい「責めずに、受容的態度をとる」というような心理面接技術が職員に教育されているに過ぎません。

目的が社会復帰や正すことである限り、上手くいかないというのは元当事者たちにはよく知られています。

ただし、人の苦境には経済的な問題がつきものです。そこは福祉の力が必要。福祉や行政は社会や支援者の都合でしか動きません。ですので、そこを橋渡しする支援者も必要となります。それが福祉従事者かと思います。

福祉従事者は当事者視点の支援がとても困難となるようです。

支援者は当事者から拒否されることがよくあります。そのときに、支援者や医療者は正しく、当事者は欠陥のある間違った人間であるという枠組みが、回復を妨げることもよく知られています。

「本人の意思や意見を聞いてくれれば、もっと早く回復できたのに」とサバイバーたちは言います。

ひきこもりを体験した若者のうち、「自立」とは就労だと考える人は多いでしょう。同じことを圧倒的に多くの親たちは考えています。しかし私はそのように考えていません。「自分自身を語る言葉を持つ」ことが自立だと思っています。

『親の「死体」と生きる若者たち』山田孝明 著

しかし、支援者はどうしても、当事者を見下して、判断を押しつけます。

当事者視点か支援者都合かということについては、私はある命題を試金石にします。

「当事者は不幸を選ぶ権利もある」

これを認めるか、認めないか。それが当事者視点かどうかだと思います。

これを聞いてけしからんと言う人は、「当事者は不幸になればよい」と区別がつかないのだと思います。

それは「回復してもよい」と「回復しなければならない」の違いです。当事者に必要なのは「回復してもよい」です。

とくに心理セラピーでは本人視点が重視されますが、身体機能や神経に関する作業療法士、理学療法士の方々から、リハビリを拒む患者がいるというお悩みを聞くと、医療現場では原則は治療者都合であるようです。

患者に回復しない権利があると認めると、なせ回復を目指さないのかその理由に強い関心がおきるはずです。認めなければ、どうやって患者にリハビリさせるかという発想になるでしょう。

ときに、回復することと、回復させられることは、セックスとレイプのように違います。

それらの区別がつかないとき、支援者都合の支援となるわけです。

「ほっといてくれ」と言われてほっておくこととも違います。放置することと、裁くことは似ています。

ほっておかないというのは、なかなかむす難しいことなのですが、上述の「当事者には権利がある」とは区別します。

不幸になる権利を奪うことで回復させるのではない、不幸になる以外の選択肢を提供するわけです。

それは既にその人は最善を尽くしていると認めることでもあったりします。

深層心理のセラピーをしていると、その不幸はなにかを守っていたということもよくあります。

なぜリハビリを拒むのかについては、理解可能とは限らない様々な理由がありますが、それはリハビリ回復より大切ななにかでありえます。たとえば「指示を受けたくない」の場合、たとえば暴力による支配を受けた人や誰かの言いなりに人生を費やした人にとっては「指示を受けない」ということは、心身の健康よりも大事なものなのかもしれません。自分が自分として存在することは、医療者の成果のために健康になることより大切ですから。

また、この話は矛盾に満ちた話でもあります。ですので、べき論として理解してもよくありません。

「不幸になってほしくない」と「不幸になってはいけない」の違いが、支援者の特性を大きく別けます。

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